NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/28


日野椀 Hino-wan Hino Lacquered Bowls

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 日野椀(ひのわん)は、滋賀県蒲生郡日野町に伝わる伝統工芸品である。
 天文二(1533)年、城主・蒲生定秀(がもうさだひで)が日野城下町を作った時、綿向山下に散在していた木地師や塗師を集めて塗師町・堅地町を設け、日野椀の生産を始めたとされている。
 貞秀の孫である氏郷が、天正一二(1584)年に転封したため、一時日野椀作りは衰微したが、日野商人たちが日野椀を行商の主力商品としたことから再び日野椀の生産が盛んになり、江戸初期には日本有数の椀の産地となり、広くその名が知られるようになった。
 初期に生産され今も残存する器は、祭器が多く見られ、厚手・高い高台を特徴とする。
 日野椀は、庶民使いの漆器として、日野商人による行商で全国へ広まった伝統工芸品である。
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2007/7/23


清内路の手づくり花火 Seinaiji-no-tezukuri-hanabi Handmade Fireworks in Seinaiji Village

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 長野県・清内路村(せいないじむら)の手づくり花火は、270年の歴史を持つ伝統の技である。
 起源は江戸時代に遡る。葉たばこの行商を通じて古くから三河方面(現愛知県)との交流があり、たばこと引き換えに火薬製造の秘伝を伝授してきたことが、清内路の手づくり花火の原点と言われている。
 花火は、毎年10月6日には上清内路諏訪神社、10月8日には下清内路諏訪神社と建神社の秋の祭礼でそれぞれ奉納されている。これは、江戸時代の享保十六(1731)年に諏訪神社社堂の再建を祝って奉納して以来、決して絶やすことなく受け継がれてきた伝統である。
 村には50人以上の製造資格者がおり、奉納の1ヶ月以上も前から何種類もの仕掛け花火や筒花火の準備にいそしむ。
 清内路の手づくり花火は、1998年の長野冬季五輪の閉会式のフィナーレで飾ったことでも有名である。
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2007/5/11


はこた人形 Hakotaningyo Hakota Dolls

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 鳥取県倉吉市に古くから伝わる張子の人形。300年の歴史を持つ伝統工芸品だ。こけしに似た、手足のない円筒形の張子は全国的にも珍しく、山陰では倉吉でしか作られていない。
 起こりは江戸時代の天明年間(1781〜89)。備後(現在の広島県)から行商にやってきた備後屋治兵衛という商人が、この地の女の子たちの素朴さに感動して作ったのがこの「はこた人形」の発祥とされる。
 昭和初期の頃までは「はーこさん」と呼ばれて、幼い女の子の遊び道具として親しまれていた。怪我や病気をしないで無事に育つという願いを込めた縁起物でもある。
 今も続く備後屋六代目の手ほどきによる、絵付け体験もできる。
 自分だけの「はーこさん」。どんな表情になるのだろう。
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2007/5/2


岡本焼 Okamoto-yaki 

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 香川県の岡本焼は、古くから農家の副業として焼かれてきた素朴な焼き物である。この豊中町岡本地区では、近くで良質の粘土が採れる。
 もともと自分たちが日常につかう土鍋や鍋、豆炒り瓦など生活雑器が中心で、俗に「ほうろく」といわれる800度から900度で低温焼成されたうす赤茶のあたたかい色味の土器である。
 かつては、「ほうろく売り」と呼ばれた行商人が、製品を荷車に積み、雲辺寺山を越えて、遠く徳島まで売り歩いた。
 讃岐の醤油豆を煎るのにつかう「おくどさん」やほうろく焼に使う広くて浅い皿。
 明るくのんびりとした姿は、まるで瀬戸内の穏やかな日差しの中にいるような印象である。
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2007/5/1


竹中健一 Takenaka Kenichi 

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 昭和十三(1938)年、兵庫県生まれ。播州毛鉤(ばんしゅうけばり)の伝統工芸士。
 98年、播州毛鉤の職人として初めて伝統工芸士に認定される。
 播州毛鉤は兵庫県西脇市周辺で作られる工芸品であり、江戸時代末期に京都から訪れた行商人から技術が伝わったとされる。
 明治から昭和にかけて、毛鉤の技術が向上し、現在に続いている。
 その種類は五百を超え、対象とする魚、時期、場所、天気などにより様々に用途が異なる。1センチにも満たない大きさであるが、様々な鳥の羽、金箔、漆、糸などを用いた、実用性に溢れた美術品である。
 すべての種類の毛鉤を後進のために残しておきたい、と語る氏の技量と熱意は卓越しており、全国の釣り師からの信頼も厚い職人である。
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2007/1/23


伊勢形紙 Ise-katagami Ise Stencils

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 伊勢形紙とは、三重県鈴鹿市白子を中心に発展した染色用具であり、伝統工芸品である。
 伊勢形紙は、友禅、浴衣、小紋等の柄や文様を、着物の生地に染めるために用いられた。
 和紙を張り合わせた紙に彫刻刀で精巧微細な図柄を彫る、「錐彫り」「突彫り」「縞彫り」「道具彫り」の4つの技法がある。
 その歴史は古く、その発祥には色々な説があるが、室町時代末期(1570年頃)には形紙があったと推察されている。
 江戸時代になると、徳川紀州藩の保護の下に、独占企業として染形紙製作の振興が行われ、形紙商人は全国各地を行商し、「伊勢形紙の白子」が広く知れ渡った。
 1952年、文化庁から無形文化財に指定。1983年、通産省の伝統的工芸用具に指定される。
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2006/12/11


越前打刃物 Echizen-uchi-hamono Echizen forged blades

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 福井県越前市の伝統工芸に越前打刃物がある。700年の伝統の中職人が腕を磨き、独自の切れ味を生み出している。
 越前打刃物の歴史は南北朝時代に遡る。伝統はひとりの刀匠から始まった。1337年、京都の刀匠千代鶴国安が刀剣製作に適した地を求め、府中(現武生市)に来訪し、そのかたわら近郷の農民のために鎌を作ったのに端を発する。それ以来、武生は農業用刃物の一大産地となり、それらは北陸独自の行商というかたちで全国に広まった。
 現在は、日本古来の火づくり鍛造技術・手仕上げを守りながら、包丁、鎌、刈り込み鋏などを主製品として製造している。
 熟練した技と芸術的要素を兼ね備えた日常生活品として認められ、1979年、国の伝統工芸品の指定を受けた。
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