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2008/7/11


古樺細工 Furukaba-saiku 

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 古樺細工(ふるかばさいく)とは、秋田県仙北市角館町に伝わる伝統民芸である。県の有形民俗文化財に指定されている。
 樺細工は、天明年間(1781~89年)に佐竹北家により、秋田県北部から角館に技法が伝えられたのが始まりとされる。
 佐竹北家の城主に手厚く保護を受けた樺細工は、下級武士の副業として広まり、明治時代に入ると禄を失った武士が本格的に取り組み、盛んとなった。
 樺細工はヤマザクラの木の皮を用いて作られる、国内では他に見る事のできないもので、あめ皮、ちらし皮、ひび皮等12種類の木の皮を使用し、用途に応じて使い分けられている。また、仕上げられた作品に同一の物はない。
 藩政期の古樺細工12点は県指定有形民俗文化財であり、角館樺細工伝承館にて展示されている。
 古樺細工は、郷土に伝わる貴重な伝統工芸品である。
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2008/7/2


阿漕塚 Akogi-duka 

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 阿漕塚(あこぎづか)は、親孝行の為に密漁を働いてしまい、処刑されてしまった平治という名の漁師を供養した塚である。
 三重県津市の岩田川の河口から南一帯の海浜は阿漕浦といわれており、古来、伊勢神宮に献上する魚を捕るための専用の場所で、禁漁区となっていた。
 その場所で、平治という名の漁師が母の病に聞くとされた「やがら」という魚を病気を治したい一心で密漁してしまう。
 かくして、その密漁は発覚し、平治は阿漕浦に沈められてしまった。以来、沖から不気味な音が聞こえるようになり、村人達は平治の霊を慰めるために塚を立てたといわれ、塚自体は天明二(1782)年に建てられたものだ。
 元々は九世紀ごろに同じく密漁をした者がいて、その名が阿漕や平治であったとされ、以降伝説として語り継がれて浄瑠璃の「阿漕平治」や、謡曲の「阿漕」になり、後々にも伝えられて塚の建立にいたったとされている。
 塚には平治の鎮魂と共に阿漕浦の平穏を求める多くの人々の祈りも込められている。
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2008/6/16


飛鳥坐神社 Asukaniimasu-jinja Asukaniimasu Shrine

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 奈良県明日香村の鳥形山の上に鎮座するのが、「飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)」である。
 大国主神(おおくにぬしのかみ)が、皇室の守護神として賀夜奈流美命(かなやるみのみこと)の神霊を飛鳥の神奈備(かんなび)に奉斎した。神奈備とは、神が降臨する聖なる山をいい、ここでは雷丘(いかずちのおか)のことを指す。天長六(829)年、神託により、雷丘から鳥形山へ遷座した。
 享保一〇(1725)年、火災により社殿の大半を焼失し、現在の社殿は天明元(1781)年、高取藩主・植村家利により再建されたものである。
 毎年二月の第一日曜に「おんだ祭り」がおこなわれ、五穀豊穣と子孫繁栄を祈願する。生命を象徴した神事として知られ、西日本三大奇祭の一つに数えられている。
 天狗と翁の面をつけた男が、手にササラという、青竹の先を細かく割ったものを持ち構え、子どもや大人を見つけると追いかけ、お尻を叩き回る。神社へ戻ったあとは、田おこしから田植えまでの流れを演じ、天狗とお多福の結婚式がはじまる。
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2008/4/25


宮島焼 Miyajima-yaki 

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 宮島焼(みやじまやき)は、広島県廿日市市に伝わる伝統工芸品である。
 別名、神砂焼(しんしゃやき)・お砂焼(おすなやき)・厳島焼(いつくしまやき)とも言われ、その名の通り宮島の砂を入れて焼き上げられているのが特徴とされる。
 天明寛政(1781~1801)頃、賀茂郡の人が厳島神社の砂をお守りとして旅行し、無事帰宅を果たした。彼は村に帰ってから、この砂を神社に返した。
 砂をただ返すだけではもったいないと感じた彼は、この砂を使って幾つかの土器を作り、厳島参拝の際に神に供えた。これが宮島焼の始まりであるとされている。
 萩焼(はぎやき)に似て清楚な雰囲気を持ち、固く焼き締められているので強度があり、ゆっくりと色が変化していく。色はグレーの砂の色のものや黄土色が中心となっている。
 宮島焼は、厳島神社ゆかりの伝統的な陶器である。
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2008/4/4


牛越神社例祭 人形三番叟 Ushikoshi-jinja-reisai Ningyou-sanba-sou The Sanbaso Dance at the Annual Festival of Ushikoshi Shrine

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 静岡県の西伊豆町宇久須にある牛越神社(うしこしじんじゃ)において、毎年一一月二日と三日の二日間に天下泰平や五穀豊穣、国土安泰を祈願して奉納されるのが人形三番叟(にんぎょうさんばそう)である。
 能の演目の一つである「翁」を歌舞伎化したのが三番叟であり、それを人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)として演じる。
 その起源はいくつかあり、この伊豆に流された京都の公卿により伝授されたとする説や、江戸初期の伊豆金山奉行、大久保長安に伝授されたとする説がある。ただ、天明年間(1781~1788)に集落の若衆により同神社に奉納された記録が残っているため、この頃にはすでに行われていたと見られている。
 千歳、翁、三番叟の各一体に役者が三人ずつ付き、太鼓や笛、拍子などの演奏に合わせて、それぞれの担当部位ごとに絶妙なバランス感覚で人形を操る。
 人形と操者が一体となった幽玄の世界が、そこにはある。
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2008/3/11


桜皮細工 Kaba-zaiku 

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 桜皮細工(かばざいく)は秋田県角館(かくのだて)に伝わる山桜の樹皮を材料とした伝統工芸品である。桜の木の皮を使った工芸品の歴史は古く、正倉院の御物の中にも見うけられる。
 角館で桜皮細工が始まったのは、天明年間(1781~1788)で、最初は下級武士の手内職として行われていたが、その後藩主が桜皮細工を地場産業として職人を育成し、それにつれて色々な技法も発展し編み出された。当初作られたていたのは胴乱と呼ばれる煙草入れや印籠だけに限られていたが、明治以降は問屋も出現し安定した産業へと発展していった。
 昭和に入ると、民衆工芸運動の先駆者であった柳宗悦(やなぎむねよし)らの指導の元に技術改良が進み、昭和五一(1976)年には秋田県で初めての経済産業大臣指定の伝統工芸品に認定された。現在では茶筒、茶道具、インテリアなど桜皮細工の世界は広がり、独特の色合いと手触りは多くの人を魅了し続けている。
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2008/3/7


びらびら簪 Birabira-kanzashi 

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 びらびら簪(びらびらかんざし)は、未婚女性向けの簪である。
 簪は、女性が髪を結う時に使う日本の伝統的な装身具であり、特に江戸時代後期には様々な種類の物が作られ、髪を飾った。
 びらびら簪は、天明年間(1781~1789)頃から流行した簪で、銀製の鎖、細い棒状、または板状のものが簪の端部分から垂れ下がった形状をしている。
 鎖、棒状の先には玉や蝶・鳥などの飾り物がついているものが多いのが特徴とされる。
 江戸では俗に「びらびら」と呼び、多くは童女、未婚女性がつける簪とされており、裕福な商人の娘などが使っていた。
 歩くたびに揺れるところに人気があり、鎖の先の鈴や珊瑚など装飾物が、微かな音をたてる。
 びらびら簪は、今でも若い女性をひきつける魅力を持った、伝統工芸品である。
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2008/2/18


貞照院 Teishou-in 

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 後世の愛知県碧南市発展に繋がったといわれる伏見屋新田(ふしみやしんでん)を、親子二代にわたって開拓したのが三宅又兵衛(みやけまたべえ)という江戸で米穀商を営んでいた人物。その縁者が元禄年間(1688~1704)に草庵を築いた。後に有志が集まり寺としたのが貞照院(ていしょういん)の始まりとされる。
 貞照院の象徴ともいわれる茅葺きの山門は応永年間(1394~1428)に建立され、碧南市に現存する建造物の中では最古のもの。
 二二四一冊の経典が納められている経蔵(きょうぞう)は天明五(1785)年頃に建立されたと伝えられる。毎年夏には大蔵経の供養の後、経典の「虫干し供養」が数日にわたって多くの参詣者達によって行われる。
 貞照院はまた秋の紅葉の名所としても親しまれている。
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