NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/4/19


寶林寺 Hourin-ji Horinji Temple

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 寶林寺(宝林寺、ほうりんじ)は、静岡県浜松市細江町中川にある黄檗宗(おうばくしゅう)の禅寺である。本尊は、釈迦如来とされる。
 寛文4(1664)年、黄檗宗開祖隠元禅師と共に来朝した明国の僧・独湛禅師が、旗本の近藤登之助の尊崇を得て、近藤家の菩提寺として開創された寺院である。
 創建当時は黄檗禅の専門道場として栄え、七堂伽藍も整い、5万坪を超える敷地に20棟余りの諸堂が建ち並んでいた。
 しかし明治になると近藤家の庇護を失い、廃仏毀釈の波に飲込まれて多くの堂が倒壊した。
 寛文7(1667)年竣工の仏殿、正徳6(1716)年竣工の方丈は、黄檗宗伝来初期の中国明朝風様式を現代に伝える、大変貴重な建物として、国の重要文化財に指定されている。
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2007/3/5


長崎 興福寺 Nagasaki Koufuku-ji 

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 長崎市街を見下ろす風頭山の山麓に寺院が並列する寺町通り。そのなかほどに、広いゆったりとした南方風の境内をもつ興福寺がある雄大な朱色の山門により「あか寺」として市民から親しまれ、長崎を訪れる多くの人々も立ち寄る。
 興福寺は、我が国最初の黄檗禅宗の唐寺で、開祖の隠元禅師が、中国より初めて日本に渡海され住持し、眼鏡橋を架けた黙子如定(もくすにょじょう)禅師、近世漢画の祖逸然(いつねん)禅師など、中国高僧も住持した。
 本堂は中国工匠による純粋の中国建築で、精緻な彫刻、華麗な彩色に氷裂式組子の丸窓、アーチ型の黄檗天井などが珍しく、国指定重要文化財となっている。
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2007/1/7


萬福寺 Manpukuji Manpukuji Temple

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 京都府宇治市にある萬福寺は、1654年、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の崇敬を得て1661年に開創された中国風の寺院。卍字くずしのデザインによる高欄、黄壁天井とよばれるアーチ型天井などがある。
 日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つで、隠元禅師、木庵禅師、即非禅師など黄檗宗の大本山である。
 創建当時そのままに残っていることが特徴で、建物23棟、回廊、額など多数が国の重要文化財に指定されている。
 黄檗僧たちが日本に与えた影響は大きく、千葉県八万石の新田開拓、日本初の公共図書館事業、岩国の錦帯橋(アーチ型の橋)建設指導など、社会事業に貢献した。
 また、今日安置されている22の仏像は、それまでの日本の仏像とはかなり違いがあり、これを境に日本全体の仏像容姿がおおきく変わり、異国的な魅力の要素がふんだんに取り入れられた。
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