鶴丸城 Tsurumaru-jyou Tsurumaru Castle Ruins
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鶴丸城(鹿児島城)は、鹿児島県鹿児島市城山町にあった城である。県指定史跡となっている。
慶長6(1601)年、関ヶ原の合戦に敗れ、家督を譲られた島津家久が築城した城である。
「人をもって城と成す」という精神に基づいてつくられた、天守閣のない質素な城であった。
鶴丸城の名は、城の形が翼を広げた鶴に似ていた事からである。
鹿児島は災害の多い地であり、鶴丸城は幾度も焼失・倒壊し、そのたびに立て替えが行われた。
幕末の薩英戦争当時は、イギリス戦艦から奥御殿に砲弾を何発か打ち込まれている。
明治4(1871)年、焼失を最後に、再建されなかった。
現在、遺構として石垣や堀、西郷隆盛の私学校跡地などが残されている。また、城趾には歴史資料センター「黎明館」、県立図書館、市立美術館などが建っている。
慶長6(1601)年、関ヶ原の合戦に敗れ、家督を譲られた島津家久が築城した城である。
「人をもって城と成す」という精神に基づいてつくられた、天守閣のない質素な城であった。
鶴丸城の名は、城の形が翼を広げた鶴に似ていた事からである。
鹿児島は災害の多い地であり、鶴丸城は幾度も焼失・倒壊し、そのたびに立て替えが行われた。
幕末の薩英戦争当時は、イギリス戦艦から奥御殿に砲弾を何発か打ち込まれている。
明治4(1871)年、焼失を最後に、再建されなかった。
現在、遺構として石垣や堀、西郷隆盛の私学校跡地などが残されている。また、城趾には歴史資料センター「黎明館」、県立図書館、市立美術館などが建っている。
- 住所
- 892-0853鹿児島県鹿児島市城山町
- 名前
- 鶴丸城