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2007/11/29


高千穂神楽面 Takachiho-kagura-men 

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 宮崎県の高千穂地方に伝わる岩戸神楽。その神楽で使われるのが「高千穂神楽面(たかちほかぐらめん)」である。
 高千穂地方は神々のふるさと、神々の里として全国に知れわたり、天岩戸地区は岩戸開きの伝説の地としても有名である。
 高千穂神楽面には、神楽舞用と装飾用があり、神楽舞用には軽い桐が、装飾用には香りのよい楠が使われる。鑿(のみ)で彫る一刀彫りでほとんどが手作業で仕上げられていく。
 特に難しいのは「生きた表情」を出すこと。職人の技によって作り出される繊細な表情は内外から高い評価を受けている。そのポイントの一つは木目をいかすことにあり、そのためには長年の経験と技術を要する。
 装飾用の面としては、手力雄命(たじからおのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)が主に作られている。二人の神は開運招福の神として人気があり、最近では観光の土産として、また、縁起の良い贈答品として人気を集めている。
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2007/8/2


追戸横穴墓群 Oido-yokoana-bo-gun Oido Yokoana Tombs

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 追戸横穴墓群(おいどよこあなぼぐん)は、宮城県遠田郡涌谷町小塚追戸沢にある史跡である。町の文化財に指定されている。
 箟岳丘陵(ののだけきゅうりょう)の南斜面、追戸から中野にわたる一帯には数百基に及ぶ横穴群が存在する。
 7世紀後半から8世紀前半に作られたとされ、中には全長が9m、3つの台床と家型の立面形をしている玄室を持ち、側壁にノミ痕が残されて朱彩が施されている墳墓もある。
 トンボ玉やヒスイ、メノウ、コハク玉破片、水晶などが出土しており、有力な豪族であったと推定されている。
 現在は、追戸横穴歴史公園として墓群を保存、整備・公開されており、誰でも横穴墓群が造られた古代の様子などについて、気軽に学ぶことができる。
 追戸横穴墓群は、日本の古代史を紐解く史跡である。
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2007/5/21


鑿(のみ) Nomi Chisels

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 鑿の用途としては、素材に対して穴を穿ったり、溝を刻んだりと主に構造加工の際に使われるものである。
 その歴史は古く、原型といわれるものでは石器時代にまでさかのぼることになる。ほぼ現在と変わらない鑿が用いられ始めたのは飛鳥時代頃だと推定されている。
 その種類や用途は多種多様に及び、鑿を専門に打つ鍛冶職人でさえ、名称だけではその形状や、どういった用途に使われるのかさえ分からないものもあるという。
 もちろん、大工仕事には欠かせない道具の一つである。
 今も日本全国に残る様々な名所、旧跡の建立に一役買ってきた。
 日本各地に点在する古来からの建造物に悠久のかなたへの思いをはせる時、そこには必ず、このさほど大きくはない道具が存在し、そしてそれを使って作業に勤しんでいた職人たちがいたのである。
 そう考えると、少しだけ、壮大な日本の歴史が身近なものに思えてくる。
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2007/4/4


讃岐一刀彫 Sanuki-ittoubori 

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 香川県にある琴平町で受け継がれる伝統工芸品。
 その歴史は天保八(1837)年に遡る。
 旭社二層入母屋造りの建立時に、全国から腕自慢の宮大工が集まった。その時、宮大工たちが休憩のときに、木切れを使って鑿(のみ)の腕を競ったのが始まりとされる。
 素材には松や楠の木を使う。温暖な気候のこの地では、樹木がよく育ち、木目が美しい、一刀彫に最も適した材である。
 「ノミ」の刀痕をそのまま仕上げに生かす技法は、この地独特の特徴である。
 昭和になるまでは、顔や頭の部分だけを彫っていたが、その後全体の像を彫るようになった。
 現在の製品としては、「七福神」や達磨(だるま)などが中心で、能面や各種置物なども作られている。いずれも手作りの暖かさが感じられるものとなっている。
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豊島石灯籠 Teshima-ishidourou 

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 香川県小豆島の西にある豊島(てしま)で採掘される、「豊島石」で作る灯籠。県の伝統工芸品に指定されている。
 豊島では明治時代頃から、島の中心にある「壇山(だんやま)」という山から、「角礫凝灰石」という、やわらかく加工しやすい石が採掘されていた。その石は主に灯籠や石彫刻に利用され、全国各地から注文があったという。京都の桂離宮、二条城、大阪の住吉大社などの石灯籠は、これら豊島石灯篭である。
 加工がたやすいこともあり、今でも石職人たちがノミを使った手作業で加工を施し、さまざまな石灯籠が作られている。また、最近では一般家庭用の、灯篭や石の彫刻の注文もあり、日本の石文化を今に伝える逸品として重宝されている。
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2007/3/14


駿河指物 Suruga-sashimono Suruga Sashimono Woodwork

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 駿河指物は、静岡県にて造られる古い歴史を持つ工芸品である。
 指物とは、カンナ・ノミ・ノコ等の手道具と物差し一本で仕上げられた木工品である。
 接着剤や釘などを使わず、指しあわせて組み立てる事からこの名が付いた。
 室町時代には、中川大工と呼ばれる職人達が静岡にいて、お椀などを作っていた。
 指物が盛んになったのは江戸時代になってからで、3代将軍徳川家光の時、浅間神社造営工事で優れた職人が全国から集められ、工事終了後も定住した職人が、指物の技法を発展させていったという。
 明治に入り、鏡台や茶箪笥を中心とした家具生産が盛んになり、日本一の家具生産地へと成長していった。
 駿河指物は、雅な京指物と粋な江戸指物の要素を併せ持つ、職人の技術が光る伝統工芸品である。
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2007/3/2


那智黒硯 Nachi-guro-suzuri 

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 熊野、那智山から産出される那智黒石は、色はあくまでも黒く、濡れたような光沢を持っているのが特徴。
 その石で作る那智黒硯は、原石の自然な姿を生かした形、緻密な石質と適当な硬度により、愛硯家に珍重されている。
 那智黒硯からは、職人が全神経を「のみ」に集中し、硯の海と岡とのバランス、「たまり」の曲がり具合の美しさなどに留意しながら作っている姿をうかがうことができる。その昔、熊野詣の証として、那智黒硯を旅人が持ち帰ったといわれているのも頷ける。
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2007/2/28


国寿石大子硯 Kokujyuseki-daigo-suzuri Kokuju-seki Daigo Inkstones

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 9代藩主徳川斉昭も小久慈硯をこよなく愛し,この硯石が国にとって吉兆であることを願い、小久慈の音訓をとって「国寿硯」と命名した。
 独特の黒いつやと石紋は素朴で美しく、手彫りのため同じものは二つとない。
 昭和4年、茨城県内各地で行われた特別陸軍大演習の際に、茨城県知事から昭和天皇への献上品となり、翌年東京で開かれた頒布会では著名な書家や文人・財界人の注目を集め、日本名硯の一つに数えられたが、その後しばらく作り手もなく、忘れられた存在になってしまった。
 幻の名硯が再び日の目を見るようになったのは、昭和30年代に入り、大子町在住の星野岱石さんが復活させてから。
 伝統的技法は国寿石を形成し、たがねで両面をならし、荒彫りには平ノミ、その後に丸ノミ、平ノミで削り込みを行い、仕上げに砥石で磨く。
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