NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/22


大杉神社 Oosugi-jinjya Osugi Shrine

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 茨城県稲敷市阿波にある神社で,通称 あんばさま。旧社格は郷社で、第二次大戦後別表神社となった。関東・東北地方に分布する大杉神社の総本社である。「大杉」の社名は、境内の大杉を神体としていることによる。
 創建は神護景雲元(767)年と伝えられ、仁治2(1241)年に京都の今宮神社から大己貴命・少彦名命を勧請し合祀した。
 江戸時代以降、疱瘡除けや水上交通の神として、関東一円、東北の大平洋側に信仰が広がった。
 江戸初期、江戸崎不動院にあった僧天海は、東條の浦に船を浮かべ裏の東に鎮座する大杉大明神を勧請、みごと雨を降らせるという修法を行い奇跡を示し、江戸城の鬼門守護に当社をあて自らも別当安隠寺の住職となる。こうした縁で日光山輪王寺の直兼帯寺院となっている。
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2007/1/30


朝夷奈切通 Asaina-kiridooshi Asaina-kiridoshi

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 朝夷奈切通(あさいなきりどおし)は、神奈川県鎌倉市十二所と横浜市金沢区の間にある古代の要路であり、国指定の史跡である。
 鎌倉にはいくつかの切通し(防衛の為の人工的要路)がある。朝夷奈切通は、鎌倉七口と言われた切通しの一つであり、鎌倉と金沢・六浦を結ぶ要路であった。
 仁治二(1241)年、執権北条泰時が自ら指揮し、朝比奈三郎義秀が一夜で切り開いたという伝説から、この名が付いた。
 作られた背景には、当時の北条氏と三浦氏との争いがある。北条氏が三浦半島を通らないで房総に出るためには、六浦港へ連絡する道が必要だったのである。
 朝夷奈切通は、往時の雰囲気を色濃く残しており、鎌倉時代の文化と生活を我々に伝えてくれる古道である。
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2007/1/23


博多祇園山笠 Hakata-gion-yamakasa Hakata Gion Yamakasa

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 博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)は、福岡市博多区で7月に開催される祭である。
 伝承によると、鎌倉時代の仁治二(1241)年、博多で疫病が流行した際に、承天寺の住職聖一国師弁円が木製の施餓鬼棚に乗り、水を撒きながら疫病退散を祈祷したことが発祥とされる。
 この施餓鬼棚が発展して山笠の形となったともいわれているが、それについては諸説あり、その起源は定かではない。
 山笠を担いで駆け回るスピードを競い合う「追い山」は、博多祗園山笠のクライマックスであり、近隣各地から多くの観衆を集めている。
 博多祗園山笠は、日本三大祇園祭の一つであり、博多総鎮守である櫛田神社への奉納神事である。この勇壮な伝統行事は、国の無形民俗文化財に指定されている。
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