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2008/2/19


御上神社 Mikami-jinja Mikami Shrine

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 三上山は滋賀県にある標高432メートルの美しい三角錐の姿で、近江富士の名で親しまれている。
 その山麓には、鍛冶、刀工の神である天之御影神(あめのみかげのかみ)が宿るとされ、近江の人々の生活を守護する地神となっている。
 御神神社(みかみじんじゃ)はこの天之御影神と三上山を御神体として祀っている。
 本殿は鎌倉時代に建立されている。方三間屋根入母屋造、白壁、連子窓などの仏堂的要素や、居所空間の要素など、神社・仏閣・殿舎の三様式が混合された「御上造」と呼ばれる大変珍しい建物である。
 入母屋造の神社建築のうちでは古い遺構の一つであり、昭和二七(1952)年に国宝に指定され、拝殿・楼門・摂社若宮本殿・木造狛犬も明治三二(1899)年に国指定の重要文化財となっている。
 毎年一〇月中旬には「ずいきまつり」が開催される。宮座と呼ばれる五つの組が里芋の茎で神輿を作り、柿・栗・野菜など秋の収穫物で飾り、五穀豊穣を祝って神社に奉納する。
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2007/12/28


白髭神社獅子舞 Shirahige-jinja-shishi-mai 

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 高さ約三〇mもある巨大な岩を御神体として祀っている白髭神社(しらひげじんじゃ)。境地区の鎮守である当社の例祭に、毎年八月、古くから奉納されているのが白髭神社獅子舞(しらひげじんじゃししまい)である。
 この地方には多くの獅子舞が伝承されており、民俗芸能の宝庫とも呼ばれているが、その起原は定かにされていない。
 白髭神社獅子舞は鹿島から師匠を招いて伝授をされたのが始まりとされている。獅子頭には享保五(1720)年作という刻銘があり、三〇〇年近い歴史があることが伺える。
 三匹獅子に加え、唄方ニ名、笛方六名、花笠六名、大太鼓一名、小太鼓一名、道化一名で構成され、舞が次々と賑やかに披露される。
 保存会や愛好会などに支えられ、五穀豊穣を祈願して奉納されつづけている。
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2007/11/14


注連縄 Shimenawa 

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 神域や祭場などの聖域と外界とを隔てる「注連縄(しめなわ)」は、「標縄」「七五三縄」とも表記され、神社の周りや御神体を囲む様に張られたもので、紙垂(しで)を垂らして用いられる事が多い。
 正月などに玄関先に飾られる「注連飾り(しめかざり)」も、注連縄の形態の一つで、人間に災いをもたらすという禍神(まがかみ)を「しめだす」もの。中国で死霊が入り込まない様に、水で清め連ねて張った縄の「注連(ちゅうれん)」が伝わったとされる。
 起源としては古代から伝えられていて、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)から引き出された時に、二度と入れない様にフトダマが注連縄に当たる「尻久米縄(しりくめなわ)」で岩戸を塞いだという事が云われており、古くからの風習として行われていた。
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2007/10/4


田名部まつり Tanabe-matsuri Tanabu Festival

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 下北地方最大の夏祭りが「田名部(たなぶ)まつり」である。江戸時代に下北の総鎮守だった田名部神社の例大祭で、青森県の無形民族文化財に指定されている。
 祭りの起源は定かでないが、寛政五(1793)年の菅江真澄(すがえますみ)の紀行文に、すでにこの祭が記されていることから、それ以前に始まったと推測されている。かつては陰暦七月一八~二〇日に行われていたが、明治三(1870)年より現在の八月一八~二〇日となった。
 田名部五町から「ヤマ」と呼ばれる木製黒漆塗りの山車が繰り出し、むつ市内を練り歩く。ヤマは二階建てで、下の階には乗子(のりこ)と呼ばれる囃子方が乗り、上の階には御神体を乗せて運行する。京都祇園祭の流れを汲むとされる山車は絢爛豪華そのもの。
 祭りは最終日の深夜、「五車別れ」でクライマックスを迎える。五台の山車は田名部神社を後にし、目抜き通りの本町十字路に勢ぞろいする。お囃子が鳴り響く中、山車を引く若衆や見物客にたる酒が振る舞われ、来年の再会を約束してそれぞれの町内へ帰る。
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2007/9/27


大山神社祭 Ooyama-jinja-sai Oyama Shrine Festival

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 大山神社祭(おおやまじんじゃさい)は、島根県隠岐郡隠岐の島町布施にある大山神社にて、毎年四月初丑の日に行われる祭である。国の無形民俗文化財とされる。
 大山神社の創建・由来などは不明で、社殿は無く、樹齢数百年の老杉を御神体として祀っている。
 文政八(1825)年には「大山祭礼記録」が布施の里山伏法印によって書き写されており、そこには祭礼を始めし事幾百年とも書かれている事から、実際の起源はもっと古いものと推察される。
 布施地区では、大山さん、山祭りと呼ばれる神事で、春の到来を実感する行事である。
 例祭の前日に御神木に巻く大かずらを山から切り出してきて、大榊を担ぎ村内を練り歩く「帯栽ちの神事」を行い、明けて丑の日に、御神木に大かずらを7巻半巻きつける「帯締めの神事」を行う。
 大山神社祭は、山伏によって始められたとも伝わる古祭である。
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2007/9/10


開聞岳 Kaimon-dake Mt. Kaimondake

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 開聞岳は、鹿児島県の南端にある指宿市に位置する、標高924mの山である。日本百名山の一つに選ばれている。その見事な円錐形から、別名薩摩富士とも言う。
 貞観一六(874)年と仁和元(885)年に大噴火した。この時、山頂に溶岩円頂丘が噴出し、現在、目にしている二段式の山容となった。
 らせん状の登山道が整備され、山頂には枚聞神社奥宮御岳神社があり、山自体が御神体とされる。
 頂上からの眺望は圧巻で、北の霧島、南の屋久島と、鹿児島の観光名所を見渡すことができる。
 裾野では春は菜の花が咲き、秋はハゼが紅葉する。全山、照葉樹林で新緑の頃も綺麗である。
2合目には亜熱帯の自然公園「開聞山麓自然公園」があり、近くには温泉地も存在する。
 開聞岳は、美しい自然と山容を誇る雄山である。
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2007/9/4


河内祭・御船祭 Kouchi-matsuri Mifune-matsuri Kouchi Festival

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 本州最南端の町である和歌山串本町古座で毎年7月24、25日に「河内祭(こうちまつり)」が行われる。「御船祭(みふねまつり)」とも言われ、国の重要無形民俗文化財に指定された古座川を舞台にした水上の祭りだ。
 古く源平の戦いに源氏方として出陣した熊野水軍の勇士達の戦勝を、「河内神社」で祝ったのが始まりとされ、その凱旋の姿を伝えるものだと云われている。
 色鮮やかな陣幕や水引き、槍、矛、提灯などで飾った御舟3隻が、「古座神社」で入舟式を行い、河口から御神体である河内大明神の祀られている清暑島(せいしょとう)にゆっくりと2日かけて遡っていく。その為、参拝や奉納は本祭の25日に行われる。
 町では獅子が舞い、中学生らが櫂伝馬競漕を勇壮に繰り広げている。
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2007/8/20


金鑽神社 多宝塔 Kanasana-jinja Tahou-tou 

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 本殿を持たない神社は全国的に珍しい。奈良県の大神神社、長野県の諏訪大社、そして埼玉県上川町の金鑽神社(かなさなじんじゃ)だけである。金鑽神社は本殿を置かず、背後に控える御嶽山(御室ヶ岳)を御神体として崇めている。
 境内に入り、川伝いにゆるやかな上りの参道を進むと、右手の高台に木立に囲まれて多宝塔が現われる。武蔵七党(むさししちとう)のひとつ、丹党に属した豪族の安保弾正全隆が、子孫の幸福繁栄を祈って天文三(1534)年に寄進したもので、建立時代が明確な県内有数の古建築として、国の重要文化財に指定されている。
 塔は二層からなり、三間四面の柿葺(こけらぶき)で高さは約一四m、総朱塗りで、真柱(しんばしら)に「天文三年庚午八月晦日、大旦那阿保弾正全隆」の墨書銘がある。
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