NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/26


福沢旧居 Fukuzawa-kyuukyo The Fukuzawa Residence

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 福沢旧居は、大分県中津市留守町にある、福沢諭吉が幼年・少年・青年時代を過ごした、国指定の史跡となっている家である。
 諭吉は天保五(1835)年に大阪堂島の中津藩蔵屋敷で生まれた。父が死亡したので諭吉が1歳6ヶ月の時に帰藩し、この家で19歳まで暮らした。
 庭に建つ土蔵は諭吉が改造し、勉学に励んだという。母屋は、起居した場所である。また隣接する記念館には、諭吉に関する様々な資料が展示されている。
 その後19歳で長崎に蘭学の勉強に行った諭吉は、やがて英語の必要性を痛感し、ほぼ独学で英語の勉強を始め、最終的に咸臨丸でアメリカまで行っている。
 後に、340万部売れたという「学問のすゝめ」を出版、慶応義塾の創始者となる。
 福沢旧居は、民主主義の先覚者・諭吉の若年期を偲ばせる歴史的家屋である。
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2007/1/25


夢二生家 Yumeji-seika The Birthplace of Yumeji Takehisa

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 岡山県瀬戸内市にある「夢二郷土美術館分館」には、竹久夢二が16歳まで過ごした生家を保存、公開している。多感な幼少年時代を過ごした部屋や茅葺の屋根も生前そのままの姿で見ることができる。
 大正ロマンを代表する、漂泊と叙情の画家詩人竹久夢二は、明治17年、邑久町にあるこの家で生まれた。美しい山河に囲まれた恵まれた風土のこのふるさと、そしてこの生家こそ夢二芸術の原点と言える。
 ここには夢二の素描、版画などの作品も展示されており、窓の桟には嫁いだ姉を慕って落書きした跡も残っているという。入口には夢二の良き理解者であった有島生馬の筆による「竹久夢二ここに生る」の碑が立つ。隣には、夢二自らの設計によるアトリエを復元した、「夢二少年山荘」も併設しており、夢二ファンなら一度は訪れたいスポットである。
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閑谷学校 Shizutani-gakkou Shizutani Gakko

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 閑谷学校(しずたにがっこう)は、備前藩主池田光政の命により、約330年前に作られた日本最古の庶民の学校。岡山県備前市閑谷に所在する。創立以来、儒教精神に基く教育がなされ、他藩からの入学者、学者、文人の来遊も相次いだとか。明治以降は旧制中学、新制高校へと変遷、現在は県青少年教育センターとなっており、三百余年の間、優秀な人材を送り出している。
この建造物の最大の特色は、屋根瓦に備前焼を用いていること。そのためにわざわざ近くに窯を築き、伊部から陶工を呼んで焼いたという。その結果、いかにも儒学の殿堂にふさわしい雰囲気を醸し出している。学校の周囲をぐるりとめぐるかまぼこ型の石塀も美しい。中国の唐様を真似たもので、石積みが精密を極め全体によく調和している。
閑谷学校は、講堂をはじめ石塀や敷地内のほとんどの建物が国宝・重要文化財に指定されているという。
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