NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/31


岡崎正宗 okazaki-masamune 

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 岡崎正宗(おかざきまさむね)は、鎌倉時代後期から室町時代前期にかけて相模国鎌倉で活動した、日本刀剣史上もっとも著名な刀工。
 詳しい系図や生没年等は不詳とされている。
 古刀の秘伝には「五ヵ伝」と総称される、山城・大和・備前・美濃・相模の五ヵ国それぞれに伝来する特徴的な作風があるが、正宗はこのうちの「相州伝」の完成者である。のちに一派を開き、無比の名匠と称せられ、多くの弟子を輩出した。
 正宗という人物にも逸話は尽きなく、それらは今なお講談などでも取り上げられているほか、正宗が鍛えた日本刀は切れ味や頑強さだけが評価されていた訳ではなく、刀剣の放つ神秘的な妖艶さや美術工芸品としての芸術性の高さも賞賛され、「正宗」の名は、のちの名刀の代名詞として後世の刀工に影響を与え続けている。
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2008/10/27


三身山 太山寺 Sanshin-zan taisan-ji 

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 三身山太山寺(さんしんざんたいさんじ)は、兵庫県神戸市西区伊川谷町にある天台宗の寺である。本尊は薬師如来、十一面観音。
 新西国観音第二十五番霊場、明石西国第二十六番霊場、神戸六地蔵第一番霊場、播州薬師第一番霊場札所となっている。
 霊亀二(716)年、元正天皇の勅願寺として、発願者である藤原鎌足の孫・藤原宇合(ふじわらのうまかい)が堂塔伽藍を建立したのが創建とされる。
 建武中興(1334)の時は寺衆徒のめざましい活躍があり、支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺・末社六ヶ社を持ち大いに栄えたという。
 現在は、龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊が残っている。
 鎌倉時代を代表する天台伽藍の本堂は国宝で、仁王門と三重塔は国の重要文化財に指定されており、多数の絵画も所蔵している。
 三身山太山寺は、歴代天皇をはじめ広く信仰を集めた古刹である。
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2008/9/29


天念寺耶馬 Tennen-ji-yaba 

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 天念寺は、六郷満山の中山本寺(なかやまほんじ)で、養老二(718)年に仁聞菩薩によって開基されたと云われる。平安・鎌倉時代には他の寺院と同様に修験と祈願の寺院として繁栄。鎌倉時代の元寇の際には、満山寺院の僧を集めての戦勝祈願の法要が盛んに行われたとも伝えられている。現在でも六郷満山古来の正月行事である「修正鬼会」が受け継がれている。
 天念寺の前を流れる長岩屋川には川中の巨岩に不動三尊が刻まれているが、この川は幾度となく氾濫を繰り返したため、水害除けに刻まれたと伝えられている。
 このように天念寺周辺は風雨などで浸食された奇岩・巨岩がそびえ立つ景勝地で、その美しさから「天念寺耶馬」や「都合耶馬」と呼称され、人々に広く愛されている。耶馬と言われる様に、木々の上に突き出た岩場を見ると、まるで馬が暢気にしゃがんでいるかのような姿が浮かんでくる。
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2008/9/10


大太刀 Ootachi 

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 大太刀(おおたち)とは、3尺(90センチ)~5尺(150センチ)の刃をもつ太刀のことをいうが、この長さの定義は時代により異なり、また、剣術の流派によっても色々な解釈がされており、一定ではない。
 鎌倉時代に入り、日本は武家が支配する社会へと変わっていった。武士の世界において、武人としての誇りは剛気と腕力であった。そのため、武具として長大な大刀が戦場で多く見られるようになっていったのである。その時代の日本人の平均身長が150~165センチであるから、いかに大きな刀であったかが推測できる。
 野太刀(のだち)や馬の足を切り武将を馬から落とすための長刀である斬馬刀(ざんばとう)も大太刀と同じものである。
 大きさからして背中に背負われるものであったが、中には腰に差す剛気な武将もいたという。
 大太刀は実戦で使用される他には、神社に奉納される刀でもあった。
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2008/9/5


宮島細工 Miyajima-zaiku 

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 宮島細工は、広島県の宮島とその周辺で作られる木工品で、製品にはしゃもじ、ろくろ細工、刳物細工(くりものざいく)、彫刻などがある。昭和五七(1982)年一一月に通商産業大臣(現経済産業大臣)から伝統的工芸品の指定を受けた。
 鎌倉時代初期、神社や寺を建てるため鎌倉地方や京都地方から大工、指物師が招かれ、技術を伝えたのが起源といわれている。江戸時代には厳島(いつくしま)神社の土産物として作られるようになり、明治時代には日用品として評価されるようになった。
 クワ、トチ、ケヤキ、ミズメザクラなどを材料に用いた製品は多種あるが、中でも有名なのがしゃもじ。宮島のしゃもじは木目に沿って割って作られるため、ご飯に香りが移らず米粒が付着しないという利点がある。
 数少ない伝統工芸士によって一つ一つ丁寧に手作りされる宮島細工は、自然の木目の色調や手触りが生かされ、木本来のぬくもりを感じることができる。
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2008/9/1


百済寺 三重塔 Kudara-ji Sanjuu-no-tou 

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 奈良県北葛城郡広陵町にある百済寺(くだらじ)の創建の時期、経緯等は明らかでない。寺は三重塔と小さな本堂を残すのみである。
 塔は鎌倉時代中期に建立され、高さ22.9メートル、本瓦葺である。長い相輪を持つ。三手先(みてさき)、二層の繁垂木(しげたるき)を用い、がっしりと軒を支えている。軒先の四方には牙を出したかわいらしい鬼瓦(おにがわら)が据えてある。
 塔の内部は四天柱と来迎壁(らいごうへき)があり、須弥壇(しゅみだん)という大型の壇に、金剛界大日如来像を安置する。明治三九(1906)年に県の重要文化財に指定されている。
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2008/8/15


本證寺境内地 Honshou-ji-keidai-chi 

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 本證寺(ほんしょうじ)は、鎌倉時代後期、慶円(きょうえん)上人の創建と伝えられている。東隣の岡崎市の上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)とともに、真宗三河三ケ寺の一つとして大きな勢力をもっていた。
 寺でありながら、本堂や庫裏書院など重要な建築物には水濠をめぐらせてある。また見張り櫓を思わせる楼閣もあり、まるで城のようだ。村全体も濠で囲まれており、寺と村とが一体になった、強固な信仰集団が確立していたことが伺える。
 永禄六(1563)年秋に起こった三河一向一揆では家康と敵対し、一揆は西三河一帯に拡大した。半年後には、家康によって一揆は鎮められ、寺は閉鎖状態になるものの、一揆に起因する本願寺派寺院への禁制が解かれると本堂の再建を果たした。
 全国でも珍しい戦国時代の城郭伽藍であることから、本證寺境内地として県の史跡に指定され、所蔵の聖徳太子絵伝、善光寺如来絵伝は国指定重要文化財となっている。
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2008/8/4


本證寺 Honshou-ji 

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 「本證寺(ほんしょうじ)」は、鎌倉時代の僧侶、慶円(きょうえん)上人を開基とする浄土真宗の寺である。
 室町時代には非常に大きな勢力を持ち、三河一向一揆では、蓮如の孫にあたる第十代空誓(くうせい)が家康に対立した寺院の中心となって闘ったという。残念ながら戦いには敗れ、天正一一(1583)年に禁制が解かれるまで廃寺同然となってしまったが、その後は本堂の再建を果たし、江戸期には、その末寺は三河・尾張をはじめ越前・江戸にまでに及び、二〇〇余寺を数えるほどになったという。
 広い敷地には、大手門のような厳しい山門、櫓(やぐら)のような二層の楼閣、土塁の一部、そして水で満たされた外掘と内堀などがあり、戦国時代の名残をとどめる、貴重な遺構とされる城郭寺院である。保存状態が良いため、文化財の宝庫と呼ばれることもある。
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