NIPPON Kichi - 日本吉

2007/3/23

盛岡城跡 Morioka-jyou-ato 

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 南部藩(現在の岩手県中北部から青森県東部にかけての地域)の藩主の居城であった盛岡城の旧跡。28代藩主の南部重直の時代、寛永十(1633)年に築城した。
 南部氏はもともと三戸(現青森県)に拠点を置いていたが、豊臣秀吉により、天正十八(1590)年に岩手郡などの領地を授けられた。そして、盛岡城を築城。周辺を城下町として整備した。
 盛岡城は、北上川と中津川の合流点の丘陵に作られた平山城。築城にあたっては、豊臣秀吉築の大阪城の構造を参考にしているので、大きな影響を受けていることが窺える。
 明治七年、城内の建物は取り壊されたが、唯一花崗岩を積み上げた石垣がほとんど残され、往時の姿をとどめる。現在は盛岡城跡公園(岩手公園)として市民に親しまれている。

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住所
020-0023 岩手県盛岡市内丸1番37号
名前
盛岡城跡




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