盛岡城跡 Morioka-jyou-ato
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南部藩(現在の岩手県中北部から青森県東部にかけての地域)の藩主の居城であった盛岡城の旧跡。28代藩主の南部重直の時代、寛永十(1633)年に築城した。
南部氏はもともと三戸(現青森県)に拠点を置いていたが、豊臣秀吉により、天正十八(1590)年に岩手郡などの領地を授けられた。そして、盛岡城を築城。周辺を城下町として整備した。
盛岡城は、北上川と中津川の合流点の丘陵に作られた平山城。築城にあたっては、豊臣秀吉築の大阪城の構造を参考にしているので、大きな影響を受けていることが窺える。
明治七年、城内の建物は取り壊されたが、唯一花崗岩を積み上げた石垣がほとんど残され、往時の姿をとどめる。現在は盛岡城跡公園(岩手公園)として市民に親しまれている。
南部氏はもともと三戸(現青森県)に拠点を置いていたが、豊臣秀吉により、天正十八(1590)年に岩手郡などの領地を授けられた。そして、盛岡城を築城。周辺を城下町として整備した。
盛岡城は、北上川と中津川の合流点の丘陵に作られた平山城。築城にあたっては、豊臣秀吉築の大阪城の構造を参考にしているので、大きな影響を受けていることが窺える。
明治七年、城内の建物は取り壊されたが、唯一花崗岩を積み上げた石垣がほとんど残され、往時の姿をとどめる。現在は盛岡城跡公園(岩手公園)として市民に親しまれている。
- 住所
- 020-0023 岩手県盛岡市内丸1番37号
- 名前
- 盛岡城跡