NIPPON Kichi - 日本吉

2008/6/26

甲府城(舞鶴城) Koufu-jou(maitsuru-jou) 

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 甲府城(こうふじょう)は、上から眺めると鶴が羽ばたいている姿に似ているところから別名「舞鶴城(まいつるじょう)」と呼ばれていた。
 天正一〇(1582)年、戦国大名である武田氏の滅亡後、織田信長の領国となったが、本能寺の変のあと、徳川家康が支配した。
 しかし、豊臣秀吉の天下統一後、秀吉の命により甥の羽柴秀勝や部下であった加藤光泰により築城され、浅野長政・幸長父子により城は完成した。
 慶長五(1600)年、関ヶ原の戦い以後、再び徳川家のものとなり、江戸中期には柳沢吉保が城主なった。
 甲府城の石垣は、約四〇〇年前ほど前、自然石を使い石を乱積みにした野面積み(のづらつみ)から始まったといわれている。
 現在は、城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されている。
 舞鶴城公園は、桜の名所としても知られ、一五〇本以上の桜が植えられている。城址の雰囲気のなかで、咲き誇る桜を楽しむことができる。

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住所
400-0031 山梨県甲府市丸の内1
名前
甲府城
電話
055-227-6179




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