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長州藩主毛利敬親は、幕末の有事に備え藩庁を萩から山口に移す決意をし、文久三(1863)年に現山口県庁の地に政事堂建設を着工している。
藩庁門はその藩庁の正門で、脇門付薬医門、切妻造り、平入り、本瓦葺きで、山口県の重要文化財に指定されている。
明治四(1871)年までは山口藩庁門として使用され、それ以後も山口県庁門として引き続き使用された。
大正初年新しく県庁舎が竣工し、正門も東寄りに築造されたが、この門はそのまま西口の役割を果たしながら使用され現在もなお使われている。
藩庁門はその藩庁の正門で、脇門付薬医門、切妻造り、平入り、本瓦葺きで、山口県の重要文化財に指定されている。
明治四(1871)年までは山口藩庁門として使用され、それ以後も山口県庁門として引き続き使用された。
大正初年新しく県庁舎が竣工し、正門も東寄りに築造されたが、この門はそのまま西口の役割を果たしながら使用され現在もなお使われている。
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