NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/7


はんだ山車まつり Handa-dashi-matsuri Handa Dashi (Float) Festival

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 知多半島の付根にある愛知県半田市は、江戸時代から海運で栄え、今も運河と現役の蔵が残る町である。毎年春の3月下旬から5月3日・4日にかけて、市内各地で二百年の伝統を持つ山車祭りが行われるが、それらの山車が5年に1度、10月に一同に集結する勇壮な祭りイベントが「はんだ山車まつり」である。
 第1回はんだ山車まつりが行われたのは、昭和五四(1979)年の5月で、この時初めて、市内10地区31台の山車が勢揃いした。その後、市制50周年を記念した第2回の昭和六二(1987)年以降、5年おきの10月に開催されるようになった。
 「はんだびと」誇りである趣向を凝らし豪奢な彫刻や幕などで装飾された山車が、勇壮な曳き回しの後に一堂に会す様子はまさに圧巻で、見るものを魅了してやまない。
 他にも、民俗芸能披露・市民パレード・物産市など、総合的イベントとしても見応えがある。秋空の元、半田市内が祭りの熱狂に包まれる2日間である。
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2007/12/21


尾張 大野城跡 Owari Oono-jou-ato Ono Castle Ruins in Owari

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 大野城は別名・宮山城ともいい、伊勢湾が一望できる青海山(せいかいざん)の山頂に築かれている。城主は尾張源氏の大野氏・一色氏・佐治氏四代と続いた。
 大野城主・佐治氏は、知多水軍を率いて海運による交易などを進め、伊勢湾の海上交通を支配する上で重要な役割を果たしてきた。織田信長の妹と後の徳川秀忠の妻となる姪が佐治氏に嫁いだことも、信長が知多水軍の輸送力を重要視していたためと伝えられる。
 織田信長の妹お市の末娘・小督の方(おごうのかた)は、城主・佐治与九郎のもとへ嫁いだ後、徳川三代将軍家光の母となる。
 現在は城山公園として整備され、二層の天守閣に見立てた展望台と城門が建てられている。伊勢湾をのぞむ天主閣からの景色は素晴らしい。また、物見櫓跡には大野城主であった佐治氏を祀る佐治神社がある。
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2007/12/10


碁石山 浪切不動明王 Goishizan Namikiri-fudoumyouou 

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 碁石山(ごいしざん)は、香川県小豆郡小豆島町の岩窟内にある真言宗の寺である。小豆島八十八ヶ所霊場第3番札所とされる。
 開基は不詳で、伝説では行基菩薩によって開かれたと言われる。
 安永三(1774)年、下野国の人である一翁道夢居士が、この岩窟内で念仏を唱えながら入定したとされ、岩窟内には、祈願の為の宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。
 浪切不動明王(なみきりふどうみょうおう)は、この碁石山に安置されている本尊である。
 海難事故を防ぐ不動明王としてはるか昔より、漁師や海運関係者に広く信仰され、多くの危難を防いだと言われ、弘法大師も止錫したと伝えられる。
 1番札所の洞雲山、3番札所奥の院の隼山とともに、験者が修行した道場とされている。
 碁石山の浪切不動明王は、地元の人たちから浪切さんと呼ばれて親しまれている不動明王像である。
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2007/8/31


佐久島 Saku-shima 

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 佐久島(さくしま)は、愛知県の知多半島と渥美半島に囲まれた、波穏やかな三河湾のほぼ真ん中に位置する、三河湾で最も大きい島である。本土側の一色港からおよそ10キロメートルで、一色港から定期船で約20分の距離にある。
 今から2500万年前に海中で堆積した島で、人が住むようになったのは紀元前3000年頃。古墳時代後期の古墳や縄文・弥生式の土器片などが出土している。
 海を生活の場として地域の文化を橋渡ししていた海部(あまべ)族の営みが、海運業として受け継がれたため、江戸時代には繁栄した。
 島の80パーセント以上が里山で、至るところで原風景を見ることができる。冬でもめったに降雪がなく、年間平均気温は15~17度と温暖な気候である。
 
 
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2007/8/20


貴船祭り Kifune-matsuri 

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 神奈川真鶴町で毎年七月二七、二八日に行われる「貴船祭り(きふねまつり)」は、神輿を乗せた船が海を渡り、豊漁や海運の安全を願う。日本三大船祭りの一つで、その歴史は一七世紀まで遡る。
 およそ一一〇〇年前、真鶴岬の沖合いから一隻の屋形船が流れ着き、それをある翁が見つけた。その船を調べてみると、木像一二体と書状が添えられてあり、翁と村民達は力を合わせ社を建造、鎮守の神として祀ったのが「貴船神社」と伝えられている。
 その後、船に神霊を移して港内の漁船や石船の祈祷をして回り、神輿が村を渡御する様になった。
 貴船神社から出された神輿は船に乗せられ、装飾を施した豪華な船など数隻を従えて対岸のお返殿に運ばれる。そこで一晩を過ごし、翌日になると周辺の町民に担がれ町内を一周、再び神社に戻る。
 神事舞踊や鹿島踊りの奉納で盛り上がるこの祭りは、平成八(1996)年に国重要無形民俗文化財に指定されている。
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2007/6/11


桑名宿 Kuwana-juku Kuwana-juku

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 東海道を品川宿から数えて四十二番目の宿場に当る桑名宿(くわなじゅく)は、現在の三重県桑名市にあたる。「その手はくわな(桑名)の焼き蛤」と掛詞に残っているとおり、蛤が有名。
 桑名は宿場町として栄える以前から、物資の集積地、海運の中継港として栄えており、またお伊勢様として知られた伊勢神宮への参拝に向かう旅人にとっては、伊勢国への東の玄関口でもあった。
 桑名宿の一つ手前、名古屋の宮宿との間には木曽三川が流れており、越えることが大変難儀だったため、海上七里を船で渡る「七里の渡(わたし)」が設けられていた。歌川広重の東海道五十三次絵に「桑名 七里渡口」として描かれている。この航路は満潮時と干潮時で異なり、所要時間も一定していなかった。
 船着き場跡には伊勢神宮遙拝用の一の鳥居があり、伊勢神宮への参道を示す「伊勢国一の鳥居」とも呼ばれていた。この鳥居は今でも、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられている。
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2007/5/25


旧商家丸一本間家 Kyuu-shoka-maruichihonmake 

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 「旧商家丸一本間家(きゅうしょうかまるいちほんまけ)」は、北海道増毛郡増毛町にある歴史的建造物である。
 旧商家丸一本間家は明治時代から、呉服をはじめ鰊(にしん)漁網元、海運業、酒造業など、天塩国随一の豪商として名を馳せた「本間家」の旧宅である。明治十四年から建築を始め、明治三五年に落成した町屋造りを基本とした建物群で、増毛町有形文化財、北海道遺産、国の重要文化財に指定されている。
 通りに面して木骨石造りの呉服店舗と呉服蔵があり、その間の玄関を入ると、石を敷き詰めた庭の奥にコの字型に木造平屋建ての居宅と、木造一部三階建ての付属家がある。明かり取りの仕掛けがある奥帳場や、有名書家の襖がある奥の間、シャンデリアのある客間など、贅を尽くした建物からは往時の繁盛ぶりが偲ばれる。
 旧商家丸一本間家は、増毛町を代表するシンボル的な建築物である。
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2007/5/8


加茂川と土蔵 Kamogawa-to-Dozou The Kamo River and the Storehouses

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 鳥取県米子市天神町付近にある加茂川と土蔵は、日本情緒溢れる町並である。
 商都として栄えた米子には、江戸時代から明治にかけての佇まいが随所に残され、旧加茂川岸に建ち並ぶ白壁の土蔵と数多く架けられた橋が、江戸時代に商港として栄えた往時の面影を偲ばせている。
 旧市役所の横から米子港へ下る加茂川に沿って古い商家の家並みが続き、なまこ塀の土蔵や連子窓の家が川面に影を映す。
 江戸時代に海運業を営んだ後藤家もあり、この古い家構は国の重要文化財に指定されている。
 町並みを水面からゆったりと眺められる遊覧船もあり、昔懐かしい風景に浸ることが出来る。
 加茂川と土蔵は、米子市を象徴する江戸情緒一杯の場所である。
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