万徳院跡 Mantokuin-ato Mantokuin Temple Ruins
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万徳院跡は、広島県山県郡北広島町に所在する国指定史跡である。
かつて万徳院は、戦国時代から安土桃山時代にかけてこの地域(安芸)に勢力を誇っていた吉川元長(きっかわもとなが・毛利元就の孫)が天正三(1575)年頃に建立した寺院。武人としての自らの罪を払い、死後に菩提寺にするために建てたとされる。
当初は山中にひっそりと建つ小さな別邸だったが、元長の死後、弟の広家が菩提寺として相応しいよう参道や石垣、建物の増築など、大改修を行った。しかし関が原の合戦後、慶長五(1600)年に吉川氏が現在の山口県(岩国藩)に移されると、それに伴い万徳院も建物ごと移築された。岩国万徳院は吉川氏の菩提寺となり、安芸の万徳院は放置され跡だけが残った。
現在は当時の建物の外観をモデルに建物を原寸大に再現した歴史公園「ガイダンスホール青松」として生まれ変わり、歴史の教科書的存在として近隣の人々に親しまれている。
かつて万徳院は、戦国時代から安土桃山時代にかけてこの地域(安芸)に勢力を誇っていた吉川元長(きっかわもとなが・毛利元就の孫)が天正三(1575)年頃に建立した寺院。武人としての自らの罪を払い、死後に菩提寺にするために建てたとされる。
当初は山中にひっそりと建つ小さな別邸だったが、元長の死後、弟の広家が菩提寺として相応しいよう参道や石垣、建物の増築など、大改修を行った。しかし関が原の合戦後、慶長五(1600)年に吉川氏が現在の山口県(岩国藩)に移されると、それに伴い万徳院も建物ごと移築された。岩国万徳院は吉川氏の菩提寺となり、安芸の万徳院は放置され跡だけが残った。
現在は当時の建物の外観をモデルに建物を原寸大に再現した歴史公園「ガイダンスホール青松」として生まれ変わり、歴史の教科書的存在として近隣の人々に親しまれている。
- 住所
- 731-1505 広島県山県郡北広島町舞綱
- 名前
- 万徳院跡
- 電話
- 0826-83-0126(万徳院跡ガイダンスホール「青松」)