NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


花取り踊り(高知県斗賀野) Hanatori-odori (Kouchi-ken Tokano) Hanatori Odori in Tokano in Kochi Prefecture

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 高知県高岡郡佐川町斗賀野地区では、白倉神社と美都岐神社の二ヶ所で花取り踊り(はなとりおどり)が開催される。
 花取り踊りは中世から伝わる「太刀踊り」の一種。花取城という難攻不落の城の前で、寄手(よせて)は里人を集め、太刀を抜き踊ってみせた。盆踊りかと城の護衛が油断したところを攻め取った、という逸話から生まれている。
 一一月初旬の朝、ワラで作った実物大の馬が境内に据えられ、二人の天狗が長い竹棒を手に立つ。やがて太鼓のリズムに合わせて花傘をかぶり、青い衣装に太刀をもった踊り手が12名ほど並んで鳥居をくぐって現われる。続いて元気なお囃子とともに子供神輿が登場する。
 踊り手はしだいに輪になって境内を踊りはじめる。剣舞のようないでたちで躍動感あふれる踊りだ。その間二人の天狗はその間観客に近づき、からかう。
 踊りはおよそ一時間続き、最後に餅投げをして終了する。
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2008/1/24


三納城跡 Minoujou-ato 

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 三納城(みのうじょう)は宮崎県西都市の西方の台地に建てられていた難攻不落の城であった。
 築城に関しての正確な記録は残っていないが、南北朝時代の建武二(1335)年、伊豆より赴いた伊東祐持が都於郡(とのこおり)を治めていた頃、支配下においていた四八の城の一つで、飯田備前守が城主であったという記録が残されている。
 城の西方は断崖絶壁、南側には三納川が流れ、北方は山地に接する堅固な構えを誇り、南方には曲折登坂の追手口を配していた。さらに高台に本拠地をかまえ周りには防御のための壕や堀が設けられていた。
 天正五(1577)年には島津家との争いに敗れて豊後に逃げ落ちた伊東氏の最後の砦となり、今では周りを樹木が覆っている。
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2007/12/10


柳川城(舞鶴城) Yanagawa-jou(maitsuru-jou) 

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 柳川城(やながわじょう)は、福岡県柳川市本城町にあった城である。城の輪郭が翼を広げた鶴を連想させたるので、舞鶴城(まいづるじょう)とも言われる。本丸は国の史跡に指定されている。
 文亀年間(1501~1504)に、蒲池治久(かまちはるひさ)によって築城され、後に蒲池鑑盛(あきもり)により大改築しされてからは九州随一の難攻不落な堅城となり、蒲池氏嫡流(ちゃくりゅう)・下蒲池氏の本城となった。
 蒲池氏が滅亡してからは鍋島氏、立花氏、田中氏が居城としたが、元和六(1620)年、立花宗茂(たちばなむねしげ)が入場して以後は、明治まで柳川藩主・立花氏の居城となった。
 城郭は明治五(1872)年の火災で櫓一基、土蔵、厩、3城門を残して焼失し、遺構は天守台、石垣、堀が柳川城跡として残る。
 迎賓館「西洋館」と、それに続く庭園・松濤園(しょうとうえん)が現存している。
 柳川城は、長い戦国時代を生き延びた、天下の堅城跡である。
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