NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/6


善峯寺 Yoshimine-dera 

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 善峯寺(よしみねでら)は、京都西京区にある寺で、西国三十三観音霊場の第二十番札所にも指定されている。
 長元二(1029)年、源算上人によって開山されたのがその始まりで、長元七(1034)年には後一条天皇より国家鎮護の勅願所とされ「良峯寺」の寺号を賜ることとなる。
 その後の鎌倉時代初期に、後鳥羽上皇から直筆の寺額を賜ったことにより、現在の善峯寺に改められた。
 応仁の乱で焼失してしまったものの江戸時代に入り、五大将軍綱吉の母であった桂昌院の援助により再建がなされた。現在に残っている伽藍の多くはこの時再建されたものである。
 その敷地は広大で西山随一とも謳われ、また高低差のある起伏に富んだ境内は四季の花々で美しく彩られ、国の天然記念物にも指定されている五葉の松などが訪れる人を楽しませてくれる。
 開祖である源算上人は一一七歳という長寿を全うしたとされ、病気平癒や長寿、健康のご利益でも知られる名刹である。
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2008/1/24


肥後こま Higo-koma 

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 熊本県熊本市の「肥後こま(ひごこま)」は、鮮やかな色が特長の郷土玩具である。
 肥後こまの色は五色あり、頭の部分に筆で、赤・黄・緑・黒と華麗な色付けをし、外側は必ず白い木地のままにしておくのが特徴である。赤は心臓、黄は肝臓、緑はすい臓、黒は腎臓、そして白は肺というように、それぞれが身体の五臓にたとえられ、健康長寿への願いが込められている。
 江戸時代は武家の子弟の遊びであったが、明治時代に入り庶民の間に広がり、子どもの玩具、土産物として親しまれるようになった。
 こまになる材料は、伐採後五年から一〇年乾燥させた椿やコヤス、サルスベリ等が使われている。
 肥後こまの種類には、トンボ、チョンカケ、ヒネリ、坊主、唐人、出ベソ、二段、ドンベン、ダルマ、タッツケ、マンジュウ、コショウ、ニシキの一三種類がある。その中でも特別な演技目的があるチョンカケなどには、ツバキ等の重くて堅い木が使用される。チョンカケごまとは、肥後こまの中でも代表的なもので、紐を使って空中で回すものである。
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2008/1/22


塩船観音 柴燈護摩 火渡り Shiofune-kannon Saitou-goma Hi-watari Saito Goma Fire Festival at Shiofune Kannon

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 塩船観音(しおふねかんのん)は、東京都青梅市塩船にある真言宗醍醐派の別格本山の寺院である。本尊は十一面千手千眼観自在菩薩像。関東八十八ヶ所霊場第72番札所とされる。
 大化年間(645~650)に、17歳の時に人魚の肉を食べ不老長寿の身となり、後に尼僧になったという八百比丘尼(やおびくに)が、この地に立ち寄った際に千手観音を安置したのが始まりと言われている。
 毎年五月三日の大祭には、お堂の中で火を焚き、炎の中に御本尊を勧請し、その中に様々な供物を投じて秘密の真言を唱え、諸願の成就を祈る真言宗修験道の柴燈護摩(さいとうごま)が焚かれる。
 その後に山伏の行列を行い、真っ赤になった火の中を刀を持った山伏たちが真言を唱えながら次々と歩いて渡るという、火渡り(ひわたり)の荒行が行われる。
 塩船観音の柴燈護摩と火渡りは、勇壮で荘厳な神事である。
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2007/12/14


おとそ Otoso Otoso

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 「お屠蘇」は、一年間の邪気を祓い、長寿を願って正月に飲まれる薬草酒。「一人これを飲めば一家病無く、一家これを飲めば一里病無し」と云われにもある様に、本来は風邪予防の為に調合され、飲まれていたが、いつしか正月の祝いの膳には欠かせないものになった。
 山椒、桔梗、桂皮など数種の薬草を組み合わせた屠蘇散を、日本酒や本味醂に浸しておいて作り、大・中・小の三種の盃を用いて飲まれる。飲む順番には、地域によって違いがあるが、年齢の若い者から順に飲んでいくのが正式である。これは中国の習慣からきたもので、若い者が毒味をしてからという意味がある。しかし日本では、明治から昭和初期の頃に家長から飲む事も行われる様になった。
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2007/12/11


三ツ合鍾乳洞 Mitsugou-shounyuudou 

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 三ツ合鍾乳洞(みつごうしょうにゅうどう)は、昭和四五(1970)年に発見された、三層になっている縦穴型の鍾乳洞である。
 規模は小さく、洞内は一二〇メートルであるが、変化に富んだ鍾乳洞となっている。入口を進むとすぐに、不老長寿の水といわれている高さ一二メートルの「竜神の滝」が流れ落ちている。この滝を含め、見どころは全部で一〇箇所ほどあり、亀が首を伸ばしたような形をしている「竜宮の亀」や「オーロラ天井」と呼ばれる鍾乳石などがある。
 狭い岩の隙間にある急な階段を上ると、フローストーン、カーテン、石柱、石筍など規模は小さいながらも変化に富んだ洞内生成物を楽しむことができる。
 また、外に出てから少しの距離ではあるが険しい山道を登ると、地上に現れ露出した鍾乳石も見ることができる。
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2007/12/4


松竹梅 Shouchikubai 

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 松竹梅(しょうちくばい)とは日本ではめでたいものとして慶事に使われる場合と三つの等級に使われることがある。
 元々は中国の「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」が元になっている。歳寒三友とは「冬の寒い季節に友とすべき三つのもの」という意で松・竹・梅の三つをさす。
 寒さの中でも美しくその緑の色合いを保つ松と竹。冬のさなか他の花に先駆けて雪の中に花と薫りを咲かせる梅。そのことから、高潔、節操、清純の象徴として、この三つが中国では文人画の題材としてよく登場していた。
 この故事が日本に伝わり、常緑の葉を持つ松は平安時代に不老長寿の象徴になり、竹は室町時代の頃よりその節目正しくまっすぐな様子が縁起のよいものとされ、江戸時代になって冬に毅然と咲く梅も縁起のよいものとして加わったことから、鶴亀などとともに慶事によく使われるようになったといわれている。松は最上級、竹は上級、梅は普通という等級の分別に使われることもあるが、縁起物としての登場の順だけで、本来序列はない。
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2007/11/15


金泉寺 Konsen-ji 

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 四国霊場第3番札所である金泉寺(こんせんじ)は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基したお寺で、当時は金光明寺と呼ばれていた。のちに弘法大師が訪れ、霊水が湧き出ているのを見て金泉寺と改めたとされる。
 今でも水が湧き出ており、この井戸を覗きこみ、影がはっきり映れば長寿、ぼやけていると短命という言い伝えが残されている。
 境内からは、天平・藤原時代の古瓦が多く発掘されているため、奈良時代の創建であることが推測される。その後長曽我部元親軍の兵火で伽藍を焼失したが、その後再興、現在の規模となった。
 朱塗りの仁王門をぐくると、左手に鐘楼、右手に八角形をした色鮮やかな朱塗りの観音堂がそびえ、 本堂の左側にある護摩堂の格天井には美しい花鳥が描かれており見所のひとつでもある。
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2007/9/21


安倍清明 AbenoSeimei Abeno Seimei

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 陰陽師として知られる安倍晴明(あべのせいめい)は、平安時代の『今昔物語集』、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』、歌舞伎や文楽の演目の中で語り継がれてきた伝説的な人物。
 出自には謎が多い。幼少期から怪異を見る力があり、当時の陰陽道の大家・賀茂忠行に師事して、天文・暦法・占術などの知識を吸収した。やがて、式神を操り、病を鎮め、雨を降らせるまでに至ったが、晴明の個性は、時空間を読む力、暦の秘密の把握にあったという。陰陽五行と占術の関係を理論化した『占事略決』を始め、いくつかの秘伝書を記した。
 当時としては異例の85歳という長寿だった。晴明の死後、彼の子孫は土御門家として、歴史の舞台裏で君臨し続けた。京都にある安倍晴明神社には、今でも参拝者の姿が途絶えない。
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