NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


石尊様の裸祭り Sekison-sama-no-hadaka-,atsuri The Naked Festival at Sekison Shrine

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 宮城県栗原市若柳の武鎗(むやり)地区で、毎年三月の第二日曜日、石尊様の裸祭り(せきそんさまのはだかまつり)が開催されている。
 まだ冬の寒さが残る朝、腰わらにわらじ、白いはちまきを身に着けた裸の厄男たちが水を体にかぶりながら地域を練り歩き、各家に立ち寄って盛大に水をかけて回る。これは火伏せを祈願したものだ。
 およそ2キロ、120世帯の家全てをまわり、威勢の良い掛け声で水をかけると、見物人からは拍手や歓声があがった。
 石尊神社は室町期の大火の際に火勢を鎮めた事から由縁し、防火の守り神としての信仰されている。ご利益にあやかって里の人がこの裸祭りを始め、室町期から続く伝統行事となった。
 この祭りが終わると寒さが和らぎ春が訪れる。
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2008/3/7


八百富神社(竹島弁天) Yaotomi-jinja(Takeshima-benten) 

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 八百富神社(やおとみじんじゃ)は、養和元(1181)年創建と言われている歴史ある神社。三河湾に浮かぶ竹島(たけしま)の中央に位置し、陸より約400メートルの橋を渡る。竹島は周囲620メートルほどで、歩いて1周できる小さな島ながら、多くの高等植物が自生しており、暖地性植物が繁茂することから島全体が天然記念物に指定されている。
 御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、航海の女神として「島」に多く祀られている神様である。また、七福神の弁財天として信仰されている。
 別名竹島弁天ともいい、琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)弁天から祭神を勧請しており、江ノ島・竹生島・厳島などと共に日本七弁財天のひとつに数えられている。
 航海の安全や開運、安産、縁結びにご利益があるといわれている。
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崋山神社 Kazan-jinja Kazan Shrine

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 愛知県田原市にある崋山神社(かざんじんじゃ)は、田原藩家老であった渡辺崋山の遺徳をしのび、田原城の出丸跡に建てられた。
 崋山没後百年を期に崋山神社建設の話が出たが、第二次世界大戦中だったため建設は実行できなかった。昭和二一(1946)年、静岡県引佐町井伊ノ谷宮の仮殿を譲ってもらい、出丸跡に建てたのが始まり。現在の建物は昭和三四(1959)年、伊勢湾台風による崩壊のあと再築された。
 学者・画家・政治家として活躍した渡辺崋山は寛政五(1793)年、江戸の田原藩上屋敷で生まれた。八歳の時、若君のお相手として出仕し、一三歳の頃から朱子学や、陽明学を極めたことから、学芸向上にご利益があると言われている。
 毎年、渡辺崋山の命日となる一〇月一一日に大祭が開催される。同じ田原市にある城宝寺で崋山の墓前に参拝したのち、崋山神社で神事が行われる。
 また、この神社の絵馬には、渡辺崋山の肖像が描かれている。
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2008/2/7


今熊野観音寺 Imakumano-kannon-ji 

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 西国三十三所観音霊場の第一五番札所の今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)は、京都府京都市にある泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)で知られる。
 平安時代初期、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が創建したと伝えられている。
 本堂にあるご本尊は、弘法大師が自ら彫刻したと伝えられている十一面観世音菩薩で、弘法大師が東寺で修行中、山中で熊野権現の化身である翁に出会い、その翁より一寸八分の観音像を授り、体内仏として安置したといわれている。
 脇仏は不動明王と毘沙門天で、本尊と共に信仰を集めている。文暦元(1234)年、後堀河上皇をこの寺に葬り、代々の朝廷の崇敬を得ていた。
 応保元(1616)年、後白河法皇の熊野勧請以来繁栄したが、応仁の乱のときに荒廃した。その後、正徳年間(1711~1716)に勧進復興された。後白河法皇の病気治癒の伝説から、中風や頭痛平癒にご利益があるといわれている。
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2008/2/6


善峯寺 Yoshimine-dera 

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 善峯寺(よしみねでら)は、京都西京区にある寺で、西国三十三観音霊場の第二十番札所にも指定されている。
 長元二(1029)年、源算上人によって開山されたのがその始まりで、長元七(1034)年には後一条天皇より国家鎮護の勅願所とされ「良峯寺」の寺号を賜ることとなる。
 その後の鎌倉時代初期に、後鳥羽上皇から直筆の寺額を賜ったことにより、現在の善峯寺に改められた。
 応仁の乱で焼失してしまったものの江戸時代に入り、五大将軍綱吉の母であった桂昌院の援助により再建がなされた。現在に残っている伽藍の多くはこの時再建されたものである。
 その敷地は広大で西山随一とも謳われ、また高低差のある起伏に富んだ境内は四季の花々で美しく彩られ、国の天然記念物にも指定されている五葉の松などが訪れる人を楽しませてくれる。
 開祖である源算上人は一一七歳という長寿を全うしたとされ、病気平癒や長寿、健康のご利益でも知られる名刹である。
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2007/11/26


真照寺薬師堂 Shinshou-ji-yakushi-dou 

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 東京のあきる野市引田地区にある真照寺(しんしょうじ)。
 寛平三(891)年創建と伝えられる、あきる野きっての名刹である同寺本堂の右側に位置するのが薬師堂である。
 市指定の有形文化財である赤い山門をくぐり、本堂右へと続く参道を通って、幾本もの「南無引田薬師如来」と染め抜かれた赤い旗がはためく一五段の石段を登ると、薬師堂が鎮座している。
 僧、行基がこの地に来たとき、薬師如来を彫り上げて安置したといわれる大変由緒あるお堂で、都指定の重要有形文化財に指定されている。
 銅版葺きの宝形造に木造カヤ葺きの屋根が乗っており、室町時代の建築とされている。
 寺とは別に、お堂は「多摩新四国八十八ヶ所霊場」の第五八番札所にもなっている。また、眼病にご利益があるといわれており、お堂の前には「め」と裏返しの「め」の字が並んで書かれた絵馬がたくさん掛けられており、今もなお信仰が篤いことを物語っている。
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2007/8/23


恋の水神社 Koi-no-mizu-jinja 

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 知多半島のほぼ中心にある美浜町に、縁結びの神様として知られている恋の水神社(こいのみずじんじゃ)がある。美都波能女之命(みずはのめのみこと)が祀られている。
 もともと延命長寿に効く神水とされていたが、悲恋物語によって縁結びに御利益があるといわれるようになった。
 平安時代末期に、桜町成範大納言の娘である桜姫が、恋人・青町の患う病に効く水があると聞き、桜姫はこの社を訪れたが、ついに水に辿りつけぬままに息絶えたという伝説がある。そのことから「恋の水神社」という名前が付けられた。
 境内の中心に、病気の中でも特に恋の病に効くといわれる「恋の水」が湧いている。紙コップに願い事を書き込み、そこに万病に効くという神水を半分ほど汲み、お供えするとご利益があるといわれている。
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2007/8/2


島田飴まつり Shimada-ame-matsuri Shimada Candy Festival

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 島田飴まつり(しまだあめまつり)は、宮城県黒川郡大和町にある吉岡八幡神社にて、例年12月14日に行われる祭りである。
 元和四(1618)年、仙台藩祖・伊達政宗の三男宗清が下草から吉岡に移った際に、同時に下草から移され、新造されたのが吉岡八幡神社の創祠とされる。
 元和年間(1615~23)のある年の12月14日、時の神主が文金高島田姿の花嫁に恋をして病に倒れたため、心配した村人たちが島田髪の形をした飴を作って奉納したところ、病が回復した事に由来する祭りとされる。
 参拝すれば恋がかなうといわれており、ご利益にあやかろうと多くの人がこの祭礼の日、飴を求めにやってくる。
 島田飴まつりは、縁結びに御利益あらたかと伝わる島田髷形飴を売る店が並び、多くの若者たちが参詣する賑やかな祭りである。
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