NIPPON Kichi - 日本吉

記事数45件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/2/14


龍飛崎 Tappi-misaki 

Jp

 龍飛崎(たっぴみさき)は、青森県東津軽郡外ヶ浜町にある津軽半島最北端の岬である。
 岬は海抜100m前後の台地状にあり、山並みがいきなり海に落ちる突端が龍飛崎で、高台には日本の灯台50選のひとつにも選ばれている、白亜の龍飛埼灯台が建っている。
 名前はアイヌ語で刀を意味するタムパから来ているとされるが、龍が飛ぶがごとく、強い風が吹くことから龍飛崎と呼ばれるようになったとも言われている。
 岬には津軽海峡冬景色歌謡碑と、碑の丘や太宰治文学碑、吉田松陰碑など、多くの文人・偉人碑が存在している。また、龍飛バス停と龍飛崎灯台を結ぶ階段は、日本唯一の国道階段として知られている。
 岬一帯には、風力発電の風車が回る龍飛ウインドパークと展示館、青函トンネル記念館、龍飛崎シーサイドパークなども存在する。
 龍飛崎は、壮麗で迫力ある、日本を代表する岬である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/25


出雲日御碕灯台 Izumo-hinomisaki-toudai 

Jp

 日本一の高さを誇る、出雲日御碕燈台(いずもひのみさきとうだい)は、島根半島のほぼ西端、日本海に面する岬に立つ。岬周辺は、大山隠岐(だいせんおき)国立公園の一部となっており、日本海を臨む景勝地としても知られている。
 出雲日御碕燈台は「世界灯台一〇〇選」にも選ばれるほど歴史的価値が高いとされている。また、文化財的にも価値が高いとされており、海上保安庁によってその価値はAランクに位置づけられ、保存処置が講じられている。
 着工は明治三三(1900)年で、三年後に初点灯したという。レンガと凝灰質砂岩で造られた、頑丈な燈台は一〇〇年以上、風雪に耐え続けている。
 螺旋状の階段を使って上まであがることができる。そこからの日本海の眺望はまさに絶景である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/11


三ツ合鍾乳洞 Mitsugou-shounyuudou 

Jp

 三ツ合鍾乳洞(みつごうしょうにゅうどう)は、昭和四五(1970)年に発見された、三層になっている縦穴型の鍾乳洞である。
 規模は小さく、洞内は一二〇メートルであるが、変化に富んだ鍾乳洞となっている。入口を進むとすぐに、不老長寿の水といわれている高さ一二メートルの「竜神の滝」が流れ落ちている。この滝を含め、見どころは全部で一〇箇所ほどあり、亀が首を伸ばしたような形をしている「竜宮の亀」や「オーロラ天井」と呼ばれる鍾乳石などがある。
 狭い岩の隙間にある急な階段を上ると、フローストーン、カーテン、石柱、石筍など規模は小さいながらも変化に富んだ洞内生成物を楽しむことができる。
 また、外に出てから少しの距離ではあるが険しい山道を登ると、地上に現れ露出した鍾乳石も見ることができる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/28


法観寺 五重塔(八坂の塔) Houkan-ji Gojuu-no-tou(Yasaka-no-tou) 

Jp

 法観寺(ほうかんじ)は京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院である。
 この寺の五重塔は室町時代の建築物で、高さは約49メートル、東寺や興福寺の五重塔に次ぐ高さだ。
 茶屋や数奇屋の軒が並ぶ風情ある八坂通りを進んでいくと、正面にこの五重塔が現れる。夜はスポットライトで照明され、町並みとともに写真に収める観光客も多い。法観寺の塔というよりも八坂の塔(やさかのとう)としての名称のほうが有名だ。
 作りは純和様、本瓦葺。塔の五層部には欄干を意味する高欄がある。中心の礎石は創建当初のものがそのまま用いられており、初層内部には大日如来を中心とする金剛界五仏が安置されている。
 また二層目までは階段で登ることもでき、高台にある塔の二階から、京の町並みが堪能できる。
 明治三〇(1897)年に国指定重要文化財となっている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/15


熊谷寺 Kumatani-ji 

Jp

 四国霊場第八番である熊谷寺(くまたにじ)。
 弘法大師が弘仁年間(816~823)にこの地を訪れ、閼伽が谷(あかがたに)で修行されていると、紀州の熊野権現が現われ、1寸8分(約5cm)の金の観世音菩薩像を大師に授けた。
 大師は自から霊木に等身大の千手観音像を刻み、その胸の中に仏舎利120粒とともに、金像の本尊を納めて堂宇を建立、安置したのが起こりとされる。
 昭和二(1927)年火災に遭い、本堂・本尊とも焼失。その後昭和一五(1940)年に本尊を安置する奥殿と拝殿が、昭和四五(1970)年に供養殿と本尊が再建された。
 本堂から更に階段を上った所にある大師堂は、宝永四(1707)年に建立され、安置されている大師像も永享三(1430)年の作とかなり古く、寺宝とされ伝わっている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/31


一関城 Ichinoseki-jyou Ichinoseki Castle Ruins

Jp En

 天正年間(1573〜1591)末期、豊臣秀吉の奥州仕置によって葛西氏が滅んだ後、一関は豊臣家臣の大名・木村氏を経て伊達氏が領有した。
 江戸幕府の開府の後は、慶長九(1604)年に伊達政宗が叔父である留守政景を一関に移し、さらに寛文年間(1661〜1672)には、政宗の10男・宗勝が入ったが、伊達騒動により宗勝は土佐に配流となった。天和二(1682)年、田村建顕が岩沼から移封となり、以後11代続いて明治を迎えた。
 本丸は千畳敷という標高約90メートル、100メートル×50メートルの長方形である。本丸と同一レベルに続く丘陵に空堀が1カ所認められ、本丸以外は適度な落差で階段状に各郭が配されていたと思われる。
 千畳敷北東に虎口があり、南東には若干の高さの方形があって矢倉などの施設が想像され、西には小山があり脇に田村神社が奉られている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/24


北海道 羽衣の滝 Hokkaidou Hagoromo-no-taki Hagoromo Falls

Jp En

 羽衣の滝は、北海道上川郡東川町、大雪山の天人峡に流れ落ちる、北海道を代表する名瀑だ。日本の滝百選にも選ばれている。
 高さ270mから水が滑り落ち、日本第3位の落差を誇る、迫力ある滝だ。断崖を7段に渡って岩肌を伝い落ちるきめ細やかな滝の流れは、その名の通り天女の羽衣を思わせる。
 この滝は、明治三四年頃発見され、当時は夫婦滝と呼ばれていたが、大正時代の文人・大町桂月が天女が羽衣を翻して舞っているような滝の美しさに感銘を受け、「羽衣の滝」と命名したと言われている。
 階段を登れば、上の段の滝を間近で見ることができる展望台がある。優美な水流は、涼感たっぷりである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/17


青木村 日吉神社 Aoki-mura Hiyoshi-jinja Hiyoshi Shrine in Aoki Village

Jp En

 長野県小県郡青木村にある日吉神社(ひよしじんじゃ)は、伝承によると創建は南北朝時代とされている。
 本殿は五間社流造で、階段や脇障子のない見世棚造り。桟瓦葺(さんがわらぶき)を用いており、横に長いシルエットも特徴のひとつ。そして扉口は中央柱間に一つだけという、大変めずらしい型式である。
 平成二(1990)年に長野県の県宝に指定された。
 以前は、朱などの鮮やかな色彩で装飾が施されていたが、現在では素材の木そのものの色となっており、情緒ある静かな佇まいを見せている。
 真っ赤に塗られた鳥居から社地を通り、石段を上りきったところに建立されている社殿は、深森のなかに、まるでオブジェのように建っている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数45件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter