NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/14


龍飛崎 Tappi-misaki 

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 龍飛崎(たっぴみさき)は、青森県東津軽郡外ヶ浜町にある津軽半島最北端の岬である。
 岬は海抜100m前後の台地状にあり、山並みがいきなり海に落ちる突端が龍飛崎で、高台には日本の灯台50選のひとつにも選ばれている、白亜の龍飛埼灯台が建っている。
 名前はアイヌ語で刀を意味するタムパから来ているとされるが、龍が飛ぶがごとく、強い風が吹くことから龍飛崎と呼ばれるようになったとも言われている。
 岬には津軽海峡冬景色歌謡碑と、碑の丘や太宰治文学碑、吉田松陰碑など、多くの文人・偉人碑が存在している。また、龍飛バス停と龍飛崎灯台を結ぶ階段は、日本唯一の国道階段として知られている。
 岬一帯には、風力発電の風車が回る龍飛ウインドパークと展示館、青函トンネル記念館、龍飛崎シーサイドパークなども存在する。
 龍飛崎は、壮麗で迫力ある、日本を代表する岬である。
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2007/10/3


山口 松陰神社 Yamaguchi Shouin-jinjya Shoin Shrine in Yamaguchi

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 松陰神社(しょういんじんじゃ)は、明治二三(1890)年に創建された、明治維新に尽力した、吉田松陰を祀る神社。
 吉田松陰は、29歳で刑死するまで、門下の育成に力を注いだ。その中から、幕末から維新にかけて活躍する、高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、山県有朋などが輩出されている。
 初めは、松陰の兄の家に祀られていたが、昭和三〇(1955)年に現在地に移転し、新たに社殿が造営された。
 本殿の北隣には門下生を祀る松門神社が立ち、境内には松陰ゆかりの史跡や展示館などが点在し、高杉晋作や伊藤博文らが学んだ松下村塾や、松陰が謹慎した際過ごした、幽囚旧宅が保存公開されている。
 萩市で学問の神として最も尊敬を集める神社であり、正月には多くの初詣客が訪れる。
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2007/6/1


松下村塾 Syouka-sonjyuku Shokasonjuku Academy

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 江戸時代末期の幕末に長州藩士の吉田松陰(吉田松蔭)が講義をおこなった私塾。国の史跡に指定されている。
 松下村塾は木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、講義室だった8畳の部屋と、後に門人が多くなり、吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成る。
 松陰の叔父の玉木文之進が天保13(1842)年に自宅で私塾を開き、ついで松陰の外伯父、久保五郎左衛門が継いで、納屋を増改築し、教育を行った。
 安政4(1857)年、28歳の松陰がこれを継ぎ、塾を主宰した。松陰は、武士や町人など、身分や階級にとらわれず門下生として受け入れ、その殆どが身分の低い者達であった。わずかな期間ではあったが、久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎ら、幕府を倒す、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を輩出したことで有名である。
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2007/2/14


華蔵寺 Kezou-ji Kezo Temple

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 愛知県幡豆郡吉良町にあるお寺。
 歴史は1600年、吉良義定(きらよしさだ)が吉良家の菩提寺として建立されたといわれる。金星山華蔵寺と称し真言宗であったとされる。
 本堂裏手には枯山水式の見事な庭園がある。吉良家代々の墓のなかには、忠臣蔵にでてくる、吉良上野介義央(きらこうずのすけよしひさ)の墓もある。
 本堂にある駿河国松陰寺の白陰に師事した、池大雅(いけのたいが)作の花鳥風月が描かれた44面の襖絵がある。普段は収蔵庫にあるが、正月には本堂で公開されている。
 吉良上野介義央自らが彩色したという木像は県指定の文化財にもなっている。
 毎年12月4日には吉良義央公毎歳忌が行なわれている。
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