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2007/11/12


伊崎の竿飛び Isaki-no-saotobi Izaki Pole Diving

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 伊崎の竿飛び(いさきのさおとび)は、滋賀県近江八幡市白王町の伊崎寺にて毎年8月の第1日曜に行われる行事である。
 伊崎寺は、貞観年間(859~877)に開基されたと伝わる天台宗の寺院で、琵琶湖に突き出た小さな半島の先端に建っており、修行道場でもある。
 竿飛びは、今から約1100年前にこの寺で修行中の建立大師が、寺の眼下に広がる琵琶湖に空鉢を投げて、湖上を行きかう漁民たちに喜捨を乞い、その後自ら湖中に飛びこんで空鉢を拾いあげた、という故事に基づくと言われている。
 行事では、琵琶湖上に突き出た長さ13mの角材から、若者らが約7m下の湖面に飛び込む。強い日差しのもと、水しぶきをあげ豪快にダイビングする姿に、見物客からは盛んな拍手が送られる。
 伊崎の竿飛びは、荒行から生まれた厄除祈願・度胸試しの歴史ある伝統的行事である。
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2007/8/15


竿燈祭 Kantou-matsuri 

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 東北四大祭りの一つ、竿燈祭(かんとうまつり)は秋田県秋田市で毎年8月に行われる。
 竹竿を、縦横に組み、たくさんの提灯をつるした、大きな竿燈を操り、お囃子にあわせて練り歩くもので、夏の病気、穢れ、邪気を追い払うためのねぶり流しとして行われている。
 元々は短冊や人形を流す行事であったが、お盆に使われた高灯籠を門前に掲げた風習や、蝋燭の普及などに伴い、提灯を掲げたものが組合わされ発展し、江戸時代中期には現在の形になったと言われる。
 大人用の大若と呼ばれる竿燈は長さ12m、重さ50kにも及ぶが、持ち手は肩、腰、額など、体のいろいろな部分を使い、バランスを取りながら竿燈を操る。その姿に、沿道を埋めた人々は魅了される。
 幾重にも連なった提灯の灯りが夜空を照らす様は美しく、東北の夏の夜を彩る祭事である。
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2007/8/14


白鶯太鼓 Hakuou-daiko 

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 白鶯太鼓(はくおうだいこ)は昭和五八(1983)年、宮城県栗駒山のふもと、栗原市鶯沢町(うぐいすさわちょう)に誕生した、比較的新しい郷土芸能である。過疎化の進むこの地域に活力を呼び戻そうと「白鶯太鼓鶯鳴会(はくおうだいこおうめいかい)」が結成され、演奏イベントが行われている。
 生で聞く和太鼓は、やはり迫力が違う。力強く荒々しい太鼓の響きの中に「ホー、ホケキョ」と繊細な笛の音が混じる。源頼義が阿部頼時・貞任父子討伐の際、八幡神社の北側に陣取り敵とにらみ合いを続けていたところ、白いウグイスが飛んできて旗竿に止まり、ひと啼きするや味方の勢いがにわかに強まり、ついには勝利を収めたという史実を元に創作された。
 白鶯太鼓には、これらの伝説や自然の情景、人々の思いが込められている。創作和太鼓の会の指導により、町内で白鶯太鼓を体験することもできる。
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2007/8/6


仙台竿 Sendai-zao Sendai Fishing Rods

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 趣味人で釣り好きでもあった仙台藩祖・伊達政宗は、釣竿にもいろいろと愛着を持っていた。
 仙台竿(せんだいざお)は、宮城県内で採れる古竹と本漆を使った、細く丈夫で大変しなやかな接ぎ竿の逸品である。政宗公も愛用していたと伝えられ、現代まで受け継がれた製作方法も、政宗公が仙台竿を愛した時代とほとんど変わっていない。
 真竹や高野竹など八種類の竹を駆使して、先や胴、手元の調子に応じて使い分け、二百にも及ぶ細かな工程を経て一本の竿へと変わっていく。漆を塗り重ねて仕上げる最後の工程を終えると、見事なまでの艶が引き出される。
 分割された竿は、全てをつなげば3mほどの長さになるが、竿全体のバランスの取れた美しさも素晴らしい。
 もちろん、釣道具としての性能も折り紙つきであり、何本もの竹をつないだ竿は、まるで一本の竹のような、ふわりとしたしなやかな調子を出すことで知られる。
 仙台竿は、強さと美しさを兼ね備えた逸品として、今も全国の釣り師憧れの品となっている。
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2007/7/31


南部の火祭り Nanbu-no-hi-matsuri Fire Festival of Nanbu

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 山梨県西部を流れる富士川。その富士川で江戸時代中期頃から始まったとされる、盆の送り火や川供養、稲を害虫から守る虫送りの意味を込めた郷土行事が南部の火祭り(なんぶのひまつり)だ。
 一時期は途絶えていたが、昭和六三(1988)年に復活。投げ松明や灯ろう流し、百八たい、大松明の4つの行事を主とした祭事で、富士川流域における夏の風物詩を今に伝えている。
 高さ十数mの竿の上に設けられた、藁で作られた蜂の巣めがけて松明を振り回し投げ入れる投げ松明で祭りは幕を開ける。
 大松明では燃え盛る松明と低く響き渡る僧侶の読経のコントラストが見るものを幻想の世界へと誘い、百八たいは富士川の両岸で約2kmに渡って設けられた、人間の煩悩に見立てた百八基の松明に、夜八時になると同時に点火、まるで川が燃えているような壮大な風景を見せてくれる。
 夏の夜に繰り広げられる炎の饗宴は、見るものに忘れ経ぬ感動を与えてくれる。
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2007/6/21


八月 葉月 Hachigatsu Hazuki August,Hazuki

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 八月は別名を葉月(はづき)という。
 その由来はいくつかあり、新暦の九月から十月にあたるため、葉がおちる秋の表現である「葉落月」、また稲の穂が張る月から「稲張り月」、そして「張り月」に転じて葉月となった等、多くの説がある。
 また、中秋の名月と呼ばれる満月を見れることから「月見月(つきみづき)」の別名もある。
 年中行事として、八月の二日から七日に行われる青森ねぶた祭り、四日から七日に行われる秋田竿灯、六日から八日に行われる仙台七夕など、東北地方では短い夏を謳歌するように大きな祭りが行われ、鮮やかな夏に更に彩をそえる。
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2007/5/15


仙台七夕まつり Sendai-tanabata-matsuri Sendai Tanabata Festival

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 「青森ねぶた」、「秋田竿灯」、「山形花笠」をはじめとする東北四大祭りの一つ。
 七夕飾りや祭りは、江戸中期から全国各地で行われていたため、仙台が元祖というわけではないが、仙台藩祖・伊達政宗が奨励していたと言われる伝統的な祭り。
 明治に入ってからは新暦の採用等で七夕まつりは、年々衰退の一途を辿っていったが、不景気を吹き飛ばそうと1927年、商家の有志達が仙台商人の心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活させた。久しぶりにその光景を目にした仙台っ子達は喝采したと言われる。ただ、今日の様な大規模なものではなく、戦局の悪化とともに再び小規模なものへとなっていった。そして、戦後の1946年に復活し、現在のような形で開催される様になった。
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2007/4/26


石燈籠 Ishidourou 

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 「石燈籠(いしどうろう)」は、神社の参道の両脇に立つもの、庭の添景として置くものなど様々なものがある。その形は明かりを灯す「火袋」と呼ばれる部分を中心として、上に「笠」と「宝珠」、下方は火袋を受ける「中台」、円柱状の「竿」、最下段の「基礎」という三つの部分から構成される。
 各部分ごとに一つの石材から造り積み重ねるのが一般的。笠と火袋、中台、基礎の平面の形は、八角や六角が多く、稀に四角や三角のものもある。
 石燈籠の形を備える遺品としては、奈良県・当麻寺の金堂前に立つ白鳳時代の燈籠が最古例で、奈良県・春日大社の「柚木燈籠」という名で知られる燈籠が次いで古く、平安時代後期の作とされている。
 石造美術の黄金時代といわれる鎌倉時代から現在にかけて、近畿を中心に百点を超える石燈籠が残されている。
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