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奈良県平群町にある「平群坐紀氏神社(へぐりにますきのうじじんじゃ)」は、「辻の宮」「椿の宮」とも呼ばれており、中世には春日神社にもなっていた。
ご祭神は平群木莵宿禰(へぐりずくのすくね)で、紀氏の祖神といわれている。
紀氏は紀伊国を本拠とし、大きな勢力を持つ古代豪族であった。
五世紀末から七世紀頃、海部(あまべ)を統括した「紀直(きのあらたい)」と、大和朝廷の朝鮮出兵に活躍した「紀臣(きのおみ)」の二大集団が存在した。そのうちの紀臣が平群に移住してきたといわれている。
本殿は、朱塗りの春日造りで銅板葺きである。
境内にある延宝七(1679)年につくられた石燈籠が最も古く、境内社の春日神社の鳥居は、元禄一五(1702)年の寄進である。
この神社は、上庄(かみしょう)椣原(しではら)西向(にしむかい)の三大字の氏神で、境内には三つの座小屋(ざこや)がある。
三つの集落の南端に神社が鎮座し、昔から地元の人々によって大切に守られてきた。
ご祭神は平群木莵宿禰(へぐりずくのすくね)で、紀氏の祖神といわれている。
紀氏は紀伊国を本拠とし、大きな勢力を持つ古代豪族であった。
五世紀末から七世紀頃、海部(あまべ)を統括した「紀直(きのあらたい)」と、大和朝廷の朝鮮出兵に活躍した「紀臣(きのおみ)」の二大集団が存在した。そのうちの紀臣が平群に移住してきたといわれている。
本殿は、朱塗りの春日造りで銅板葺きである。
境内にある延宝七(1679)年につくられた石燈籠が最も古く、境内社の春日神社の鳥居は、元禄一五(1702)年の寄進である。
この神社は、上庄(かみしょう)椣原(しではら)西向(にしむかい)の三大字の氏神で、境内には三つの座小屋(ざこや)がある。
三つの集落の南端に神社が鎮座し、昔から地元の人々によって大切に守られてきた。
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