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2008/6/30


水晶岳 Suishou-dake 

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 北アルプスのほぼ中央に位置する、標高二九八六mの水晶岳(すいしょうだけ)は、名前の通り水晶が採取できることからその名がつけられたといわれている。現在でも柘榴石(ざくろいし)と呼ばれる、やや黒味を帯びた濃い赤色の「ガーネット」や水晶が見つかるという。
 名前のイメージとは違い、山頂付近の山肌が黒っぽいため、黒岳とも呼ばれる。
 岩稜部分が多いが、イブキジャコウソウやタカネツメクサ、クルマユリ、シコタンソウ、チョウノスケソウ、タカネスミレ、タカネシオガマなど高山植物の宝庫とも呼ばれているほど種類は多岐にわたり、夏季にはそれらが群生、美しい姿を見ることができる。
 山頂近くには、北アルプスで一番小規模な山小屋といわれる、水晶小屋が設置されている。この付近は、気象の変化が激しく強風が吹くため、キャンプを張ることができない。そのため夏季には登山者で大変賑わうという。
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2007/10/26


納沙布岬 Nosappu-misaki Cape Nosappu

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 納沙布(のさっぷ)岬は、北海道本島再東端の岬。根室半島の先端、北緯43度22分、東経145度49分に位置する。
 海に広がる根室海峡の向こうには、貝殻島や水晶島、国後島などの北方領土の島々が手の届きそうな位置に浮かぶ。
 また納沙布岬は、「流氷岬」と呼ばれるように流氷が見られる岬としても有名。冬にはダイナミックで幻想的な景観が楽しめる。 
 元旦には北海道一早く初日の出を拝める場所として、「納沙布岬初日詣」が行われる。
 岬の先端には明治五年に建てられた道内最古の灯台が立つ。また、周辺は北方領土への思いを込めて造られた望郷の岬公園になっており、巨大なアーチの下に強風でも消えないトーチが焚かれている。公園内には北方四島をイメージしたモニュメント「四島のかけ橋」や望郷の家、北方館などの施設がある。納沙布岬は、四季折々、訪れる人々に様々な感慨を与えている。
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2007/10/12


甲州水晶貴石細工 Kousyuu-suishou-kisekizaiku Koshu Crystal Carving

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 「甲州水晶貴石細工(こうしゅうすいしょうきせきざいく)」は、山梨県内で作られる天然石を加工した美術工芸品や装身具の総称で、その研磨細工技術は長い歴史の中で発展し、国内ばかりか海外からも高い評価を得るようになった。
 平安時代、景勝地として知られる御嶽昇仙峡の奥地から水晶が発見された。当時は原石のまま飾って楽しんでいたが、次第に細工を施すようになり、江戸時代になると京都から職人を招いて玉造りの技法を学び、これが甲州研磨の基礎になっていった。戦後、輸出が急増し生産のピークを迎えたが、現在は国内向けに高度な技術を駆使した製品を提供。一部は皇室に献上されている。
 伝統の職人技は、自然が生んだ天然石の透明感あふれる色合いと輝きを最大限に引き出し、ただ美しいだけではなく、生命感や躍動感までを表現していて見事というほかない。
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2007/8/31


興福寺 五重塔(国宝) Koufuku-ji Gojuu-no-tou 

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 興福寺(こうふくじ)は、法相宗の大本山として知られる。和銅三(710)年の春三月、平城京・左京三条七坊の地に造営された。
 興福寺には国宝に指定されている五重塔がある。天平二(730)年に、興福寺の創建者である藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘、光明皇后の発願で創建された。
 創建当初は高さ四五メートルで、当時の日本では一番高い塔だった。現在は高さは約五〇メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で二番目に高い塔である。
 火災などにより、この塔は応永三三(1426)年に再建されたもので、現在第六代目となる。
 五重塔各層には水晶の小塔などが安置されていたが、現在は薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されている。

 

 
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2007/8/2


追戸横穴墓群 Oido-yokoana-bo-gun Oido Yokoana Tombs

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 追戸横穴墓群(おいどよこあなぼぐん)は、宮城県遠田郡涌谷町小塚追戸沢にある史跡である。町の文化財に指定されている。
 箟岳丘陵(ののだけきゅうりょう)の南斜面、追戸から中野にわたる一帯には数百基に及ぶ横穴群が存在する。
 7世紀後半から8世紀前半に作られたとされ、中には全長が9m、3つの台床と家型の立面形をしている玄室を持ち、側壁にノミ痕が残されて朱彩が施されている墳墓もある。
 トンボ玉やヒスイ、メノウ、コハク玉破片、水晶などが出土しており、有力な豪族であったと推定されている。
 現在は、追戸横穴歴史公園として墓群を保存、整備・公開されており、誰でも横穴墓群が造られた古代の様子などについて、気軽に学ぶことができる。
 追戸横穴墓群は、日本の古代史を紐解く史跡である。
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2007/5/22


金桜神社 Kanazakura-jinja Kanazakura Shrine

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 金桜(かなざくら)神社は山梨県甲府市御岳町に位置する神社である。
 崇神天皇の御代に金峰山の山頂に少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀り、その後、東国巡行の日本武尊命がこの地に詣で、里宮として築いたのが始まりと伝わる。
 戦国時代は武田家の祈願所として崇拝され、江戸時代以降は徳川家からも保護を受けた。昭和三十(1955)年に火事により焼失、昭和三十四(1959)年に再建され、現在の朱塗りの社殿になった。
 祭神は少名彦命など五柱、病気厄除け、金運のご利益があると伝わる。御神宝は水晶であり、日本水晶発祥の地としても知られる。
 境内には黄金色の花を咲かせる珍しい「鬱金(うこん)の桜」を始め、六百本もの桜が連なる景勝地としても知られ、春先には大勢の花見客で賑わう。
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2007/4/25


河野道一 Kouno Mitihito 

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 1939(昭和十四)年、甲府市生まれ、甲州水晶貴石細工の伝統工芸士。
 91年に伝統工芸士に認定。日本伝統工芸展、伝統工芸新作展、水晶彫刻新作展知事賞等、多数入選。
 甲州水晶貴石細工は約千年前、山梨県「御岳昇仙峡」で水晶の原石が多数発見されたことから始まる。当初は珍しい置物として扱われていたが、江戸時代末期、京の職人、玉屋弥助が金桜神社の神官に加工の技術を伝え、そこから様々な加工方法が生まれた。
 石一つ一つには景色が秘められており、それらを探し出すのが職人の仕事、と氏は語り、水晶、翡翠、瑪瑙などの天然石を様々な作品に作り上げてゆく。
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2007/2/27


長岳寺 Chougaku-ji Chogakuji Temple

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 長岳寺は奈良県桜井市に位置する高野山真言宗の寺院である。山号は釜口山(かまのくちさん)、関西花の寺第十九番。
 淳和天皇の勅願により、天長元(824)年に空海により開基、大和神社の神宮寺として建立された。
 戦国時代、戦火により被害を受けるが、慶長七(1602)年に徳川家康の庇護を受け、再興したとされる。
 本尊は阿弥陀三尊、目に水晶を使う玉眼の技法を用いた仏像では日本最古のもの。
 境内の鐘楼門は平安時代のもので、創建当時の唯一の建物である。
 寺院所蔵の絵画に狩野山楽による極楽地獄図があり、九幅、縦3・5メートル、横11メートルの大絵図は古来より人々に仏の世を説いてきた。
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