NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/17


京唐紙 Kyou-karakami Kyokarakami

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 京唐紙(きょうからかみ)は襖に施される一種の版画で、桂離宮や寺院、茶室などで現在も使われている。用途によって多くの文様があり、それぞれに洗練された美しさを持つ。
 顔料に用いられるのは雲母(うんも)の粉末や絵の具で、最初に刷毛で「ふるい」という団扇(うちわ)の形をした道具に付ける。次に「ふるい」から版木に顔料をふるい落とすようにして付け、その上に和紙を置いて刷る。この作業を何回か繰り返して一枚が完成する。
 中国から伝えられた唐紙は、平安時代に詩歌を書き記す詠草料紙(えいそうりょうし)として日本でも作り始められた。後に襖に張られるようになり、大きく発展したのは江戸時代中期といわれている。浮世絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の作品には、京唐紙を刷る職人の姿が描かれている。
 顔料に雲母が用いられているため、うっすらと上品に光るのが特徴で、蝋燭の暗い明かりに照らされた京唐紙の一部が、炎のゆらめきに合わせてきらめく様は趣がある。
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2007/10/3


亀山宿 Kameyama-juku Kameyama-juku

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 亀山宿(かめやまじゅく)は、三重県亀山市の東部にある、東海道四六番目の宿場町。
 宿場町であるが、城下町としても栄えた。多くの史跡が存在し、亀山城跡や石井兄弟敵討跡、江戸口門跡、京口門跡等が今もその姿を残している。
 安藤広重が描いた「東海道五十三次之内亀山」では、副題を雪晴とし、雪という気候の変化をテーマとしている。深い雪と斜面に生える木を描いているが、淡墨で描かれた真白い雪に美しさを感じる反面、当時の旅の困難さもうかがえる。
 現在、周辺には城の一部が移築再建された寺や、屋敷、直角に曲がった細い路地などが残り、城下の名残を残している。
 
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2007/9/18


双剣石 Souken-seki 

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 双剣石(そうけんせき)は、鹿児島県南さつま市坊津町の網代浜にある天然の2つの岩である。国の名勝に指定されている坊津の、代表的景観とされる。
 双剣石は雄岩が27m、雌岩が21mあり、荒削りの岩が海に2つ鋭い剣のように突き出しているのでこの名がついたと言う。
 江戸時代の版画家・安藤広重の浮世絵にもなっており、また江戸時代に編まれた三国名勝図会には「坊津八景」の一つとして描かれている。
 坊津八景は、戦国時代に豊臣秀吉によって都から流された近衛信輔が、坊津の名勝8か所を和歌に詠んだものである。
 また、梅崎春生の「幻化」の中で主人公・五郎と部下の福兵長が、酒を飲み双剣石まで泳ぐことになる岩としても知られる。
 双剣石は、昔から色々な人々に描かれたり歌を詠まれたりしてきた、風光明媚な名勝である。
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2007/6/18


岩野市兵衛(人間国宝) Iwano Ichibee Ichibee Iwano (Living National Treasure)

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 昭和八(1933)年、福井県今立町生まれ。越前奉書製造で有名な人間国宝、八代目岩野市兵衛の長男として生まれる。九代目の自身も平成十二(2000)年に人間国宝に認定され、親子二代での人間国宝受賞となった。
 先代の市兵衛氏の漉く奉書は、広く内外の版画家から支持されピカソも愛用していたという。
 職人気質は父譲り、毎日ひたすら紙漉きを続けて六十余年、ただただいい紙を、という一念で仕事をしてきた。氏の漉く紙は腰が強く、どうやっても裂くことができないくらい丈夫。画家の精密な筆先でも絵の具が滲むことはない。
 葛飾北斎の極薄の版画用紙を漉いたこともある。復刻版画はバレンを何百回もかける。それに耐える紙を漉くのは難しいが、「挑戦するときは職人の血が騒ぎますね」と氏は穏やかに笑う。根っからの職人魂は、父をも超えた。
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2007/4/26


上方浮世絵 Kamigataukiyoe Kamigata Ukiyoe

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 「上方浮世絵(かみがたうきよえ)」は、江戸時代後半から明治時代初期(1800年代)にかけて、主に大坂で作られた浮世絵版画。
 美人画や風景画が少なく、歌舞伎芝居を描いた役者絵がほとんどの画題を占める。江戸の浮世絵師の作品とは異なり、役者をそのままの姿で描くところに特徴がある。
 フルカラー印刷された木版画(錦絵)は1765年に江戸で発明され、またたく間に江戸中に広まり、庶民が得られるようになった。 
 それから、四半世紀後、浮世絵は黄金期を迎え、歌麿が活躍し、北斎・写楽が活躍する直前の1791年、上方(京都・大坂)でも上方浮世絵が描かれるようになった。
 海外では「OSAKA PRINTS」と呼ばれ、大英博物館をはじめ、世界各地の美術館に収蔵されている。
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2007/2/27


金屋の石仏 Kanaya-no-sekibutsu Stone Buddhist Statues in Kanaya

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 金屋の石仏は奈良県桜井市、三輪山の南麓、金屋集落に置かれた二体の石仏のことである。
 平安時代後期から鎌倉時代の作とされる。共に高さ2・1メートル、幅83センチ、厚さ21センチの泥板岩に浮彫りされたもので、石棺の蓋を用いた石棺仏。国指定の重要文化財である。
 元々は平等寺に安置されていたが、明治期の廃仏毀釈で破壊されるところを村人の手により保護され、現在の小堂へ移された。
 向かって左が弥勒菩薩像、右が釈迦如来像。流れるような線を描く薄肉彫りに豊満な体躯が印象的で、版画家、棟方志功が大変感動したと言われる石仏である。
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2007/2/19


浮世絵 Ukiyo-e Ukiyoe

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 江戸時代の風俗を描いた絵画。「浮世」とは現在の世を指し、当時の日常、風景、人物を描いたものである。
 安土桃山時代に京都の庶民を描いたものが始まりとされる。その後江戸時代に入り一般に広まった。
 初期は肉筆と淡色の版画のみであったが、印刷技術や紙の質の向上により、多色刷りである「錦絵」が作られるようになり人気を博した。
 描かれる対象は美人画、役者絵、武者絵などの人物、名所絵などの風景、滑稽なものを描いた戯画など多岐に渡る。
 芸術性が高いが、当時のチラシやポスターにあたり、ごく日常的に扱われていたもので、明治時代に海外に輸出された焼物の包装紙として扱われ、それを見た多くの芸術家が影響を受けた。
 世界的にも有名であり、多くの人々を魅了している。
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棟方志功 Munakata Shikou 

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 1903年、青森県生まれ。日本を代表する板画家である。
 少年時代にフィンセント・ファン・ゴッホの絵画に出会って感動し、「わだば、ゴッホになる」と芸術家を目指す。
 24年、東京へ上京し、苦労しながら絵の勉強を続けた。28年、初の帝展入賞。以後、木版画に目覚め、版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。
 56年、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に「湧然する女者達々」などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞する。
 他に、スイス・ルガノ国際版画展優秀賞、サンパウロ・ピエンナーレ版画部門最高賞、紺綬褒章、文化勲章などを受賞している。
 75年9月、20世紀の美術を代表する世界的巨匠として、惜しまれながら亡くなった。
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