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2008/3/6


東大寺 南大門(国宝) Toudai-ji Nandai-mon(Koku-hou) 

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 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
 南大門(なんだいもん)は、天平宝宇六(762)年頃に建立されたが、その後倒壊と再建、焼失を経験し、現在残るものは鎌倉時代の正治元(1199)年に再建されたもので、国宝に指定されている。
 俊乗坊重源(しゅんじゅうぼうじゅうげん)が宋から伝えたといわれる、大仏様(だいぶつよう)方式で建築されており、上屋根と下屋根が異常に接近していて、直径1m、高さ24mの円柱が18本林立している。
 当時の和様技法では太い柱が必要であったが、大仏様の「貫」技法により、柱径を細くするだけでなく柱間隔も広げる事が出来た。
 門の左右にある金剛力士像は、建仁三(1203)年に運慶・快慶他によって作られた。
 東大寺の南大門は、東大寺大伽藍の正面に建つ雄大な正門である。
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南大門 金剛力士像 Nandai-mon Kongourikishi-zou 

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 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
 南大門(なんだいもん)は、鎌倉時代の正治元(1199)年に再建された東大寺の正門で、国宝に指定されている。
 俊乗坊重源が宋から伝えたといわれる、純粋な大仏様(だいぶつよう)方式で建築されており、全国に2棟しか現存していない。
 金剛力士像(こんごうりきしぞう)は、建仁三(1203)年に運慶・快慶他によって作られた高さ8.4mの巨大な木像であり、同じく国宝に指定されている。
 剛健なる姿、筋肉の躍動感あふれる造形美を持ち、息を吐き、手を開く開放型の阿形(あぎょう)、息を吸い、指を結ぶ姿の吽形(うんぎょう)の一対からなり、南大門の門内左右に配置されている。
 南大門の金剛力士像は、威厳と豪放さを備えた木像である。
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2007/12/11


青梅 常福院 Oume Jyoufuku-in 

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 青梅にある常福院(じょうふくいん)は、標高七五九メートルの高水山(たかみずさん)の頂上付近にある真言宗の寺で、安楽寺の末寺として知られる。高水山は岩茸石山(いわたけいしやま)、惣岳山(そうがくさん)と共に高水三山と呼ばれている。
 不動堂の正面に、大きな木製の剣が祀ってある。不動堂には本尊である浪切白不動(なみきりしらふどう)像があり、波を切る不動の姿からその名がついたといわれている。
 建仁三(1203)年、この不動を崇拝した畠山重忠が再建したが、その後山火事があり、文政五(1822)年に現在の不動堂が立てられた。 
 また境内にある鐘楼には、享保三(1718)年に鋳造された銅鐘がかけられている。
 毎年四月八日に近い日曜日に奉納される「高水山古式獅子舞」は、三匹獅子舞として知られる。明治四三(1910)年に市の無形民俗文化財の指定を受け、戦時中も途絶えることなく毎年奉納されていた。
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2007/12/10


秋月城 Akizuki-jou Akizuki Castle

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 秋月城(あきづきじょう)は、福岡県朝倉市秋月町にあった城である。
 建仁三(1203)年、原田種雄が標高859mの古処山(こしょうさん)に山城を築き、麓に館を構え、秋月種雄と名を改めたのが始めとされ、以後代々秋月氏が居城とした。
 天正一五(1587)年、豊臣秀吉の大軍によって秋月城は完全に包囲され、秋月種実は秀吉の軍門に降り、秋月城の古処山城は廃城となった。
 寛永元(1624)年、黒田長興(くろだながおき)が秋月に分封され、秋月氏の里城を古処山城の建物に移築するなどして大幅に改修、これが今に残る秋月城跡で、以後、秋月黒田藩は明治までここを居城とした。
 古処山城の城門であった黒門が残っており、近辺は紅葉の名所とされている。
 秋月城は、鎌倉時代から続いた歴史ある城跡である。
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2007/11/28


法観寺 五重塔(八坂の塔) Houkan-ji Gojuu-no-tou(Yasaka-no-tou) 

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 法観寺(ほうかんじ)は京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院である。
 この寺の五重塔は室町時代の建築物で、高さは約49メートル、東寺や興福寺の五重塔に次ぐ高さだ。
 茶屋や数奇屋の軒が並ぶ風情ある八坂通りを進んでいくと、正面にこの五重塔が現れる。夜はスポットライトで照明され、町並みとともに写真に収める観光客も多い。法観寺の塔というよりも八坂の塔(やさかのとう)としての名称のほうが有名だ。
 作りは純和様、本瓦葺。塔の五層部には欄干を意味する高欄がある。中心の礎石は創建当初のものがそのまま用いられており、初層内部には大日如来を中心とする金剛界五仏が安置されている。
 また二層目までは階段で登ることもでき、高台にある塔の二階から、京の町並みが堪能できる。
 明治三〇(1897)年に国指定重要文化財となっている。
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2007/11/7


道元 Dougen Dogen

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 道元(どうげん)は曹洞宗の開祖。道元禅師と呼ばれる。
 正治二(1200)年、京都生まれ。一三歳で比叡山に昇り、翌年に出家。天台教学や禅を学ぶ。
 「正法」を求め、中国へ渡る。宝慶元(1225)年、天童山で如浄禅師と出会い、法を相承。「只管打坐(しかんたざ)」というひたすら坐禅に打ち込む修行が特徴。
 帰国後、建仁寺に住み、直ちに『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著した。約八年間、宇治の興聖寺(こうしょうじ)で禅の布教に専念した。
 越前に移り、大仏寺(現・永平寺)を開き、弟子の育成に力を注いだ。優れた人材を輩出し、日本各地に曹洞禅(そうとうぜん)を広めた。
 代表的な著作『正法眼蔵』は、九〇余卷にも及び、悟りへ至る道が記された書として、語り継がれ、研究され続けている。
 建長五(1253)年、五四歳で死去。
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2007/5/11


北山安夫 KitayamaYasuo Yasuo Kitayama

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 北山造園(京都市)代表。1948年、京都市生まれ。国内外で高い評価を受ける現代の庭師。大学卒業後、京都・小宮山庭園創作所の故・小宮山博康氏に師事。26歳で独立以降、京都・高台寺をはじめ、その塔頭である圓徳院、日本最古の禅寺・建仁寺、久保田一竹美術館(山梨県)、円通寺(佐賀県)など数多くの庭園修復や愛知万博「愛・地球博」森林ゾーンの日本庭園の石組を担当。また、イタリアやアフリカなど海外での作庭も担っている。
 その特徴は、無駄を削ぎ落とした庭の姿と石組にある。「己を殺して我(われ)を生かす」という哲学にもとづき、自身を主調しすぎず、見る人の気持ちを包み込むような庭づくりの姿勢は、日本の美を支える、ひとつの美学ともいえるだろう。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
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2007/5/9


岐阜城 Gifujo Gifu Castle

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 岐阜県の金華山(きんかざん)山頂に位置する。建仁元(1201)年、鎌倉幕府の政所執事二階堂行政により砦が築かれたのがはじまりと伝えられる。
 その後戦国時代には「国盗り物語」で有名な斎藤道三や織田信長が居城とし、難攻不落の城として名を馳せた。
 しかし、慶長五(1600)年の関が原の合戦の前哨戦の際に激戦のうえ落城。翌年、岐阜城は廃城となり、天守閣、魯などは加納城に移築された。
 現在の城は昭和三一年に復興され、鉄筋コンクリート3層4階構造で、岐阜県のシンボルとなっている。城内は資料展示室、楼上は展望台として市民に親しまれている。
 展望台は眼下に長良川、長く連なる息吹の山並みなどが一望できる絶好のビューポイントだ。夏の夜間営業では、パノラマ夜景も楽しめ、人々の人気を集めている。
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