NIPPON Kichi - 日本吉

2008/6/26

吉田城(今橋城) Yoshida-jou(Imabashi-jou) 

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 吉田城(よしだじょう)は、別名・今橋城(いまばしじょう)とも呼ばれ、永正二(1505)年、今川方であった牧野古白(まきのこはく)によって築城された。
 近隣の豪族との抗争を繰り返し、天文一五(1546)年になって今川義元が城代を置いた。
 戦国争乱の世の中で、東三河の要であった今橋城は、戦国武将が激しい攻防を操り返す中で、名前を今橋から吉田と改めた。
 永禄八(1565)年、徳川家康は今川氏の最大拠点であった吉田城を攻略し、酒井忠次を置いた。
 そして天正一八(1590)年、徳川家康の関東移封により、池田輝政が一五万二千石で入城、城下町の整備などをおこなったが、慶長五(1600)年の関ヶ原の戦いの後、播州姫路に所替えとなった。
 現在、吉田城跡のある豊橋公園には、本丸跡に復元された三層の隅櫓があるほか、石垣や空堀、土塁などが残されている。

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住所
440-0801 愛知県豊橋市今橋町
名前
豊橋公園
電話
0532-51-2645




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