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源姓足利氏2代目義兼が、建久7 (1196) 年自らの邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が、堂塔伽藍(がらん) を建立し、足利一門の氏寺とした。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域は、ほぼ正方形で、約4万平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷(平城) の面影を今に伝え、 大正11年3月、足利氏宅跡として国の史跡に指定されている。
現在は鑁阿寺(ばんなじ)という寺になっており、足利氏ゆかりの建造物が数多く残されている。敷地は一辺が200mほどの、典型的な方形武士館の形状で、周囲には堀と土塁が廻っており、戦国期のような大規模なものではなく、一跨ぎで越えられそうなものだが、雰囲気はよく残っている。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域は、ほぼ正方形で、約4万平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷(平城) の面影を今に伝え、 大正11年3月、足利氏宅跡として国の史跡に指定されている。
現在は鑁阿寺(ばんなじ)という寺になっており、足利氏ゆかりの建造物が数多く残されている。敷地は一辺が200mほどの、典型的な方形武士館の形状で、周囲には堀と土塁が廻っており、戦国期のような大規模なものではなく、一跨ぎで越えられそうなものだが、雰囲気はよく残っている。
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