随心院 Zuishin-in
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随心院(ずいしんいん)は、正暦二(991)年、仁海僧正が牛皮山曼茶羅寺(ぎゅうひざんまんだらじ)を創建したのがはじまりである。
鎌倉時代の寛喜元(1229)年、後堀河天皇から門跡の宣旨をうけ、随心院門跡となる。承久・応仁の乱により焼け野原になってしまうが、江戸時代の慶長四(1596)年、九条家と二条家の両宮家から門跡が入山され再興した。
この周辺は、この地方の勢力者である小野一族の土地であった。隋心院境内は小町の旧跡と伝え、小町は現在の随心院にある「小町化粧の井戸」付近に住んでいたといわれている。
総門をくぐると右に梅園がある。随心院の紅梅は「はねず」という薄紅色を意味する名で呼ばれている。三月下旬には百夜通いの話で有名な小野小町と深草少将(ふかくさのしょうしょう)の物語を主題とした「はねず踊り」が催される。小町に想いを寄せて通いつめた深草少将が、小町のところへ通い続けた九十九夜目の雪の日、門前で疲れきって倒れ、再起できなかったという話が伝えられている。
鎌倉時代の寛喜元(1229)年、後堀河天皇から門跡の宣旨をうけ、随心院門跡となる。承久・応仁の乱により焼け野原になってしまうが、江戸時代の慶長四(1596)年、九条家と二条家の両宮家から門跡が入山され再興した。
この周辺は、この地方の勢力者である小野一族の土地であった。隋心院境内は小町の旧跡と伝え、小町は現在の随心院にある「小町化粧の井戸」付近に住んでいたといわれている。
総門をくぐると右に梅園がある。随心院の紅梅は「はねず」という薄紅色を意味する名で呼ばれている。三月下旬には百夜通いの話で有名な小野小町と深草少将(ふかくさのしょうしょう)の物語を主題とした「はねず踊り」が催される。小町に想いを寄せて通いつめた深草少将が、小町のところへ通い続けた九十九夜目の雪の日、門前で疲れきって倒れ、再起できなかったという話が伝えられている。
- 住所
- 607-8257 京都府京都市山科区小野御霊町35
- 名前
- 随心院
- 電話
- 075-571-0025
- info@zuishinin.or.jp
- HP
- http://www.zuishinin.or.jp/