米子城(湊山城) Yonago-jou(tsuyama-jou)
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米子城(よなごじょう)別名湊山城(つやまじょう)は鳥取県の米子市にある城である。元々は中海を背に周囲の水壕に海水を引き入れられた浮城であった。現在、水壕は埋め立てられている。
最初の築城は応仁の乱の時西軍の山名氏であるとされているが、天正年間(1573~1591)豊臣の家臣、吉川元春によって飯山に築かれ、その子の吉川広家が飯山から峰続きの湊山に新城を築いた。これが、現在の米子城である。
その後、何人か城主は変わり、寛永九(1632)年に池田由之(いけだよしゆき)が城主となった。
本丸は湊山の山頂に位置し、中村忠一が城主の時に四層五階の大天守閣が築かれた。
現在では、本丸までの道程に番所跡や遠見櫓跡などが残されている。
湊山の山頂からは出雲地方の平野部や日本海、中海を一望することが出来る。
最初の築城は応仁の乱の時西軍の山名氏であるとされているが、天正年間(1573~1591)豊臣の家臣、吉川元春によって飯山に築かれ、その子の吉川広家が飯山から峰続きの湊山に新城を築いた。これが、現在の米子城である。
その後、何人か城主は変わり、寛永九(1632)年に池田由之(いけだよしゆき)が城主となった。
本丸は湊山の山頂に位置し、中村忠一が城主の時に四層五階の大天守閣が築かれた。
現在では、本丸までの道程に番所跡や遠見櫓跡などが残されている。
湊山の山頂からは出雲地方の平野部や日本海、中海を一望することが出来る。
- 住所
- 683-0824 鳥取県米子市久米町
- 名前
- 米子城(湊山城)