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2008/7/25


京都 保津川下り Kyouto Hozugawa-kudari Boat Ride down the Hozu-gawa River, Kyoto

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 京都の保津川下り(ほづがわくだり)は、京都府亀岡市保津町~京都市嵐山まで約16kmの渓流を、約2時間で下る舟下りである。
 川下りというのは、長岡京に都があった頃(784~794)から、保津川の水流を利用して下流にある京都・大阪に物資を輸送する事にはじまった言葉で、いわゆる水運の事である。
 慶長一一(1606)年、角倉了以(すみのくらりょうい)が、木材・薪炭など丹波地方の産物を京へ送るための産業水路として開いた。これが、保津川下りの起源とされている。
 今では、日本一の川下りとして、国内はもちろん世界的にも良く知られている。
 曲がりくねった狭い川筋は、激流岩を生んで、かいの音が木霊し、谷間ではウグイスが鳴き、夏はかじかの涼やかな合唱が聞こえる。
 保津川下りは、桜、岩つつじ、新禄、紅葉、雪景色など四季折々の景観も魅力的な舟下りである。
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2008/7/1


急須 Kyuusu 

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 急須(きゅうす)とは、葉茶を入れ湯を注いで煎じ出す、取っ手のついた小さな器である。
 古く中国では、酒の燗に用いた注ぎ口のある小鍋を「急須」といったが、転じて煎茶器として用いられるようになったという。
 日本では急須の主流を朱泥(しゅでい)、紫泥炻器(しでいせっき)が占めており、他に有田焼、九谷焼、瀬戸焼、薩摩焼などの磁器製も多く、また備前焼や丹波焼などの焼締炻器や、美濃焼、萩焼など陶器製のものなど、非常に多くの種類が生産されているという。
 お茶のうまみのもとは、茶葉の「より」にあるといわれ、このよりが適温のお湯によってほぐれ、うまみが溶け出すのである。従って、急須選びは、お茶の味わいを左右する重要な決め手となるといわれる。
 急須は、お茶をおいしく飲む為に重要な、中に茶葉を入れてお湯を注ぎ茶水を注ぐ、茶道具である。
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2008/6/5


大菩薩嶺 Daibosatsu-rei 

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 大菩薩嶺(だいぼさつれい)は、山梨県甲州市~北都留郡丹波山村にまたがる標高2056・9mの山である。日本百名山のひとつに選ばれている。
 中里介山(なかざとかいざん)の小説「大菩薩峠」により、嶺と呼ばれる山頂より峠の方が有名になっている。
 東京の西方に位置するこの山は、かつては武州多摩川筋から甲州笛吹川筋に抜ける甲州裏街道の峠路でもあった。
 笹で覆われ視界を遮る樹林のない峠からは、360度の視界を楽しむことができ、天気さえよければ富士山も見える。
 嶺の南は雷岩から賽の河原、大菩薩峠と続く尾根の草原、北側は針葉樹の樹林帯と趣がガラッと変わる。草原は夏から秋には、ヤナギランやマツムシソウの花畑となり人気がある。
 大菩薩嶺は豊かな眺望を誇る峠で知られる、奥秩父の山である。
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2008/5/14


小松城 Komatsu-jou 

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 小松市の中心部にある小松城(こまつじょう)は、天正四(1576)年一向宗の宗徒であった若林長門(わかばやしながと)が、戦国武将の越前朝倉氏と戦うため、築城した平城である。
 柴田勝家に攻められて落城した後、村上氏、丹波氏と城主が替わった。
 元和元(1615)年の一国一城令の例外として、加賀藩三代目藩主、前田利常の隠居城として居城が認められ、城の大改修も許可されたことで知られている。
 小松城は別名を芦または浮城といい、それは梯川(かけはしがわ)の蛇行を巧みに利用した構造になっていたためである。それにより、湿地に浮かぶ城は外敵に対する防備も固かったとされる。
 戦後堀も全て埋められたが、天守台の石垣が当時の姿を偲ばせている。
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2008/2/12


青木神社 大丹波の獅子舞 Aoki-jinja Ootaba-no-shishi-mai 

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 大丹波の獅子舞(おおたばのししまい)は、この集落の総鎮守、青木神社の八月の例祭に行われる伝統芸能である。
 大丹波の獅子舞は、この地方に伝わる多くの獅子舞の中でも演式に特徴があるといわれている。古式ゆかしい習慣が今も守られている、とても貴重な獅子舞とされている。
 昭和時代半ばまでは各家によって、獅子舞を行う全ての役が厳密に決まっていたという。各家庭の長男のみが加わることが出来るとされたとも伝えられており、祭礼は練習から当日まで全て男性の手によって行われるという。
 人口の多い地域ではこのような習慣が今も残され、地元の人々が力を合わせて、しっかりと次世代に伝えている。
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2007/10/23


福知山城 Fukuchiyama-jou 

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 福知山城(ふくちやまじょう)は、京都府福知山市内記にあった城である。
 天正八(1580)年ごろ、丹波平定に成功した明智光秀が城を築いたのが始まりとされている。
 以来、戦国の中、城主が交代しても順次整備が進められ、慶長五(1600)年ごろに完成した。
 明治五(1872)年、廃城令で取り壊され、石垣と銅門番所だけが残されていたのだが、昭和六一(1986)年、3層4階の天守閣が再建された。
 天守閣内部は郷土資料館として公開され、城や福知山にかかわる歴史資料を展示している。
 城跡は、現在城址公園となっており、ほぼ本の丸部分が残されている。天守台を含む各郭の石垣は野面積みで、明智光秀の築城当時のままの姿を留めている。
 福知山城は、戦乱の世が偲ばれる明智光秀ゆかりの史跡である。
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2007/9/28


高水山古式獅子舞 Takamizusan-koshiki-shishi-mai 

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 東京、青梅市にある高水山(たかみずさん)。標高756mの山は、古くから山岳宗教の霊地として崇められ、麓には古刹として知られる高水山常福院がある。
 その、常福院の春の祭礼で奉納されるのが高水山古式獅子舞(こしきししまい)である。
 明和五(1768)年に奥多摩町大丹波村より師匠を招いて舞を習い、寛政七(1795)年に免許状ともいえる「日本獅子舞之由来」を伝授されたという。
 東京、埼玉、神奈川北部でよく見られる三匹獅子舞であり、大丹波を起点として、リレー式に伝承されていったといわれている。
 その舞は伝統を重んじた古式ゆかしいものとして知られ、大太夫(おだい)、小太夫(こだい)、女獅子の組合わせで、歌と楽器がつく。楽器の中には細かく割り束ねた竹を擦り付けて鳴らすささらと呼ばれるものも使用され、そのことから「ささら獅子舞」とも呼ばれている。
 戦時中も途絶えることなく毎年奉納された舞は、境内に咲く紫つつじとも相まって、いっそうの魅力を今に伝えている。
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2007/7/24


丹波焼陶器まつり Tanba-yaki-touki-matsuri Tanba Pottery Festival

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 丹波焼陶器まつり(たんばやきとうきまつり)は、兵庫県篠山市今田町にて毎年10月に行われている祭りである。
 この地において800年以上にわたり受け継がれてきた丹波焼は、日本六古窯の一つに数えられ、国の伝統的工芸品にも指定されている。
 陶器まつりは今田町の各地で開かれ、なかなかお目にかかることのできない値打ち品などがところ狭しと並べられ、黒山の人だかりができる。
 約60ある窯元のギャラリーでは、多数の掘り出し物が展示販売される。一度にこれだけの数を目に出来ることは稀で、大小の陶器がずらりと並べられた姿は壮観である。
 陶器以外に丹波の特産品もお目見えするなど、丹波焼陶器まつりは、毎年10万人以上の人々が県の内外から訪れる、人気のイベントである。
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