NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/29


前史雄(人間国宝) Mae Fumio Fumio Mae (Living National Treasure)

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 昭和十五(1940)年、輪島市に生まれる。平成11年に「沈金(ちんきん)」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 沈金は、漆芸の装飾技法で、漆の塗面に紋様を彫り、漆を摺りこんで金箔や金粉などを窪みに埋める石川県輪島市に伝わる伝統工芸である。
 前史雄氏は、昭和38年金沢美術工芸大学美術学科卒業後、沈金の名工と謳われた父・前得二に師事、技の鍛錬に努めた。父から受け継いだ技法に磨きをかけ、従来の沈金の地味な趣を超えた絵画的な詩情を加え、親子二代にわたる技術の研鑽は見事に花開いたのだった。作品には静かな中にも深い思いや心象風景が描かれ、それが器の形とマッチしてえも言われぬ気品を醸しだす。
 現在は石川県立輪島漆芸研修所の技術教育にも携わり、後進の指導にも尽力しているという。
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増田三男(人間国宝) Masuda Mitsuo Mitsuo Masuda (Living National Treasure)

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 明治四十二(1909)年4月24日、埼玉県に生まれる。平成三(1991)年、重要無形文化財「彫金」の保持者に認定される。
 東京美術学校(現東京芸術大学)金工科彫金部を卒業後、富本健吉の指導を受けながら数々の作品を世に出してきた。
 彫金とは、ノミなどを用いて、金工品の素地を彫ったり打ち出したりして装飾する技法をいう。氏の作品は、銀・銅・黄銅・鉄などを打ち出して成形した壷や箱に、自然からヒントを得た模様を彫りこんだ、季節感に富んだ点に特徴がある。特に、めっきを施した作品が高い評価を得ているという。
 かつて氏が浦和高校で教鞭を取っていた際、「人間は素質だけではなく努力だ。努力できることこそが才能だ」と語ったとか。その言葉通り、七〇年あまりもの間第一線で活躍してきた氏の作品には、「美」の表現者としての志が生き生きと息づいている。
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大澤光民(人間国宝) Oosawa Komin Osawa (Living National Treasure)

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 昭和16年、銅器産業の地、富山県高岡市に生まれる。平成17年、「鋳金(ちゅうきん)」の重要無形文化財として認定された。
 鋳金は金属を溶かして鋳型に注入し、器物を鋳造する金工技術。弥生時代以来の長い歴史を持ち、鋳型の造形法により惣型(そうがた)、蝋型(ろうがた)、砂型(すながた)、焼型(やきがた)などに分類できる。
 焼型鋳造は複雑な造形作品や大型の銅像などを鋳造できるが、すべての工程に経験と高度な技術が求められる。
 氏は、焼型鋳造に精通し、新たに独自の「鋳ぐるみ技法」という、器の表面に模様を表す技法を研究、独自の作風を確立してきた。以来、線と点などからなる幾何学模様の美を追求している。ひとつの作品を作るだけでも作業が深夜におよぶ日もしばしばだが、「本当に一生懸命やっていると、ふっと新しいことが頭に浮かぶものだよ」と語る氏の笑顔は清清しい。
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大坂弘道(人間国宝) Oosaka Hiromichi Hiromichi Osaka (Living National Treasure)

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 昭和十二(1937)年、鳥取県倉吉市に生まれる。平成九(1997)年に「木工芸」で重要無形文化財(人間国宝)に認定された。
 東京学芸大学美術科を卒業後、東京の公立学校教諭のかたわら、人間国宝・氷見晃堂氏らに師事。唐木指物などの木工技法を学ぶ。技法に研鑽を積み、やがて日本伝統工芸展で受賞を重ねるまでになった。
 宮内庁から正倉院宝物摸造を委嘱されたのが昭和55年。氏が四十三歳のときである。これを機に学校を退職し、本格的に復元制作に専念。昭和61年に「紫檀(したん)木画箱」の復元摸造を完成させ、正倉院に納めた。
 正倉院の研究成果を応用した木画、透かし彫りなどにさえた技を発揮し、黒柿(こくし)や紫檀(したん)などの素材の特色を活かした多彩な作域が高い評価を得ている。
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北村昭斎(人間国宝) Kitamura Shousai Kitamura Shosai (Living National Treasure)

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 奈良在住の漆芸作家、北村昭斎氏(昭和13年生まれ)は「螺鈿(らでん)」の重要無形文化財保持者(人間国宝)と、「漆工品修理」の選定保存技術保持者のふたつの認定を受けて、創作のほかに文化財の修復や復元模造の制作など、多面的な活動を精力的に続けている。
 「螺鈿(らでん)」とは、貝殻の真珠色に光る部分を磨いて薄片にし、種々の形に切って漆器や木地の表面にはめ込み、または貼りつけて装飾する工芸技法のこと。
 氏は代々続く漆の家に生まれ、東京芸術大学漆工科卒業後、漆芸の修行を積んだ。とくに、厚貝螺鈿技法を高度に会得し、伝統技法を踏まえながら、新たな工夫を加えている。
 菱文、花文などを組み合わせた大胆な意匠に特色があり、現代的な美しさを示すものとして芸術的にも高く評価されている。
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中川衛(人間国宝) Nakagawa Mamoru Mamoru Nakagawa (Living National Treasure)

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 昭和二十二(1947)年、石川県金沢市生まれ。平成十六(2004)年、「彫金」で重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受ける。
 金沢美大産業美術学科卒業後、昭和四十九(1974)年、金工作家高橋介州氏に師事、彫金を学んだ。
 金属を彫ったところに別の金属を埋めて装飾する加賀藩伝統の「加賀象嵌」。タガネなどの道具にはじまり、素材、技法—すべて見よう見まねで会得した。伝統的な象嵌(ぞうがん)技法を学ぶ一方、「自分ならではの作品を作りたい」との思いから、自然の光景を取り入れた色彩鮮やかで現代的な作品を数々送り出す。伝統的な象嵌は単色が大半。色味の異なる金属を多用した洗練された文様で、金工の世界に新風を吹き込んだ。
 現在、金沢美大教授、同大美術工芸研究所長として後進の指導にもあたっている。
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2007/1/28


芝山漆器 Sibayama-sikki Shibayama Lacquerware

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 芝山漆器(横浜芝山漆器)は、神奈川県の横浜で生産される伝統工芸品である。
 安永年間(1775年頃)、下総の国に芝山村があり、大野木専蔵(後の芝山専蔵)が芝山象嵌を始めたのが始まりである。
 横浜で行われるようになったのは、その子孫芝山宗一の頃からで、芝山細工に工夫を加え横浜調の芝山漆器を作りだした。
 芝山漆器は、器物の表面に動物の骨や牙、象牙などを中心に貝やベッコウ、珊瑚などを細工して嵌め込んだもので、通常行われている螺鈿などと異なり立体的で変化にとみ、見る人をその豪華さと手作りの繊細な美しさで魅了する。
 明治・大正と隆盛を誇った芝山漆器も、震災や空襲などで職人が離散し、現在ではわずかな数の継承者しかいない。
 芝山漆器は、伝統を今に伝える繊細な工芸品である。
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2007/1/24


高岡銅器 Takaoka-dohki Takaoka Copperware

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 四世紀もの歴史を持つ富山県高岡市に伝わる伝統工芸品、「高岡銅器」。きめ細かくなめらかな鋳肌(いはだ)、風格ある色合い、繊細な文様と優美な形が特徴だ。
 起こりは今から400年前、二代目加賀藩主前田利長が高岡築城に際し、城下の繁栄を図る産業政策の一環として現高岡市金屋町に鋳物工場を開設したことに始まる。
 当初の鋳物は、藩の御用以外は梵鐘や灯篭、農具、鍋釜などの鉄鋳物だったが、やがて仏壇装飾などの小型銅器が盛んになってくる。その後、明治、大正にかけて火鉢・瓶掛・茶道具・置物等の製作もさかんになり、高岡銅器の美術的価値が全国に知られるようになったという。1873年、ウィーンで開かれた万国博覧会でも絶賛され、世界の認めるところとなった。
 昭和50年には、日本で最初に国の伝統的工芸品産地の指定を受けた。
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