NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/11


天海 Tenkai 

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 天海(てんかい)は江戸時代初期、天台宗の僧。
 天文五(1536)年、会津(現・福島県)生まれ。11歳で出家し、18歳の頃に比叡山に入る。華厳、唯識、禅、儒学や易教、国学を修めた。
 慶長一三(1608)年頃に、徳川家康の知遇を得る。家康の参謀、朝廷との交渉役として活躍。仙波(埼玉県川越市)の北院(喜多院)や江戸崎(茨城県那珂町)の不動院の住職を兼任し、延暦寺や日光山の整備・再興にも従事した。
 仏法と王法の合一を説いた「山王一実神道」の奥義を、天海は家康に伝授する。家康の死後、東照大権現を贈号して、江戸から日光への遷葬を指揮した。遂に家康を日本の守護神に祀りあげた。
 その後も、東叡山・寛永寺の創建や都市計画を指導、江戸鎮護を構想し続けた。108歳で入滅。その5年後に、朝廷より慈眼大師号を追贈された。
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2008/2/28


城下町 大聖寺 Joukamachi Daisho-ji Castle town,Daishoji

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 石川県加賀市の大聖寺(だいしょうじ)は、加賀百万石の支藩、大聖寺藩の城下町として栄えてきた歴史と伝統文化の息づく町だ。
 江戸時代からの街並みをそのままとどめ、しっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせている。錦城山城址のふもとには禅宗、日蓮宗などの古刹が立ち並び、年間を通して史跡めぐりを楽しむ人々が絶えない。
 特に実性院(じっしょういん)は、5月に咲く藤の花の全国的な名所としても知られている。金箔をあしらった障子画も見事だ。また、大聖寺3代藩主の藩邸跡の一部に当たる江沼神社境内にある「長流亭」は、兼六園を模して作庭されたとされ、書院や茶室など、隅々にまで凝らされた意匠が興味深い。この庭園は、国の重要文化財に指定されているという。 
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2008/2/12


坐禅 Zazen 

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 禅とはインドから中国、そして日本へは鎌倉時代に伝わったとされる宗教である。武士や庶民にも広まり、各地に禅寺が建てられた。
 その禅の修業のひとつ、坐禅(ざぜん)とは、姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、基本的な修行のことをいう。
 座禅とも表記されるが、正式には「坐」の字を使用するという。坐禅は坐ることに重きを置く修行である。
 姿勢、呼吸、心を整え、坐禅用の座布団、坐蒲(ざふ)の上に腰を下ろし、浅くあぐらをかく。足の組み方や体勢など、いくつか独特の流儀があるという。そして目を閉じて、ひたすら無の境地に至ることが目的とされている。
 坐禅による腹式呼吸の効果は医学的にも認められてきており、健康目的などにも体験する人が増えているという。
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2007/12/26


禅 Zen 

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 「禅(ぜん)」とは仏教発祥の地、インドで始まり中国、日本へと伝わった宗教で、「達磨宗(だるましゅう)」「仏心宗(ぶっしんしゅう)」「楞伽宗(りょうがしゅう)」とも呼ばれる。
 釈迦から数えて二八代目の祖・菩提達磨が禅宗の開祖と云われ、中国で発展したのち、一三世紀頃の鎌倉時代に伝えられたとされている。しかし平安時代には既に伝わっていて、京都嵯峨野の檀林寺で禅が講義されたとの記録もある。
 インドで「ディヤーナ」と言われた教えが、中国で禅那(ぜんな)、禅(ぜん)として発展していき、日本へと伝わっていった。そして鎌倉時代以後、武士や庶民などを中心に広まっていき、各地に禅寺が建てられる様になった。
 ディヤーナは直訳すると「瞑想」で、静かに心を落ち着かせる瞑想を通して、悟りを開くというのが禅としての大いなる意義であろう。この背筋を伸ばし、呼吸、心を整える「坐禅」は禅の基本的な修行法である。
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2007/11/12


魚板 Gyoban Gyoban (Fish Drum)

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 魚板(ぎょばん)とは、巨大な木製の魚であり、叩いて時間を知らせるための法具である。
 日本では主に禅宗系の寺院などでよく見受けられ、木魚の原型であるとされている。
 これは、木魚のようにお経や真言を唱える時の、調子をとる為に使われるのではなく、行事や法要、儀式の始まりを山内の皆に報せる為に打ち鳴らされるものである。
 魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じない事から、修行に精進することの象徴であったためとされる。明代には、現代の木魚の形が確立している。
 その呼び名は魚板以外にも魚鼓(ぎょこ)、木魚鼓(もくぎょく)、邦(ほう)とさまざまで、魚の形の法具としては、木魚よりも魚らしい形をしているといえる。
 魚板は、現在でも使用されている、合図のための法具である。
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2007/11/7


道元 Dougen Dogen

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 道元(どうげん)は曹洞宗の開祖。道元禅師と呼ばれる。
 正治二(1200)年、京都生まれ。一三歳で比叡山に昇り、翌年に出家。天台教学や禅を学ぶ。
 「正法」を求め、中国へ渡る。宝慶元(1225)年、天童山で如浄禅師と出会い、法を相承。「只管打坐(しかんたざ)」というひたすら坐禅に打ち込む修行が特徴。
 帰国後、建仁寺に住み、直ちに『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著した。約八年間、宇治の興聖寺(こうしょうじ)で禅の布教に専念した。
 越前に移り、大仏寺(現・永平寺)を開き、弟子の育成に力を注いだ。優れた人材を輩出し、日本各地に曹洞禅(そうとうぜん)を広めた。
 代表的な著作『正法眼蔵』は、九〇余卷にも及び、悟りへ至る道が記された書として、語り継がれ、研究され続けている。
 建長五(1253)年、五四歳で死去。
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2007/10/12


善福院 Zenpuku-in Zenpukuin Temple

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 和歌山県海南市に所在する古刹。鎌倉時代の建保二(1214)年に栄西禅師により開創されたと言われる広福寺五ヶ院のひとつである。
 広福寺は古くは七堂伽藍を備えていたが、大旦那の加茂氏の没落に伴い荒廃。以後、真言宗に転宗し、伽藍を修復し、さらに江戸時代に入り紀州藩となってからは天台宗に改宗。明治時代までは広福寺は三ヶ院あったが現在は禅福院のみとなっている。
 乱石積基壇の上に立つ二重屋根、寄棟造りの釈迦堂は国宝に指定されている。本瓦葺寄棟造、平行垂木などは鎌倉時代後期の禅宗様式の典型的な建築として、鎌倉円覚寺舎利殿、山口巧山寺仏殿などとともに有名である。
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2007/10/4


良寛 Ryoukan Ryokan

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 良寛(りょうかん)は、江戸後期の曹洞宗の禅僧で、歌人、漢詩人、書家としても知られる。
 宝暦八(1758)年、越後国出雲崎(現・新潟県)に誕生。土地の名主で、俳人でもある父から、影響を受けて育った。
 大森子陽の塾で学び、名主見習役を経て、円通寺の国仙和尚のもとで出家。その頃、和歌に親しむようになり、歌人との交流や創作を重ねてゆく。
 三三歳の頃、国仙和尚より印可の偈を与えられる。以後、民衆の教化に努めたが、難解な説法を避け、分かり易い言葉を用いた。特定の寺を持たず、自らの質素な生活を開示することで、民衆の共感や信頼を得ていた。
 良寛の住む五合庵には、実に多くの芸術家や学者が訪れた。般若湯(酒)を好み、自らを慕う人々と頻繁に杯を交わしたと伝わる。
 天保二(1831)年、良寛死去。歌集『蓮の露』を弟子の貞心尼が編んだ。
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