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2008/9/5


板山長根古窯 Itayama-nagane-koyou 

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 知多半島には多くの古窯が残されており、半島全体で3000基ほどの窯が築かれていたと言われている。その中で阿久比町(あぐいちょう)の西端にあるのが愛知県指定文化財になっている板山長根古窯(いたやまながねこよう)である。
 この古窯は昭和五三(1978)年に発掘調査されたもので、一二世紀に作られたあな窯が三基あり、焚口や分焔柱、焼成室の入口などが完全に残っている。どの窯も非常によい状態であり、そのうちの二号基だけが展示されている。この窯は生活雑器を焼いた窯として知られ、現在は窯全体を覆う屋根がつくられている。
 ここから焼成の途中で崩れたとみられる山茶碗、小皿などが発掘された。展示されている二号基には山茶碗が詰まったままの状態で残されており、見学が可能となっている。
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伊良湖東大寺瓦窯跡 Irago-toudai-ji-kawara-kama-ato 

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 伊良湖(いらこ)東大寺瓦窯跡は昭和四一(1966)年、豊川用水初立(はつたち)ダム工事中に発見された。その後の調査により鎌倉時代に東大寺大仏殿の瓦を焼いた窯であることが明らかになった。出土した瓦にいずれも東大寺の銘があり、軒先に付けられる丸い鐙瓦(あぶみがわら)には「東大寺大仏殿瓦」の文字が刻まれていた。
 平窯一基と傾斜地を利用した細長いトンネル状の窖窯(あながま)が三基見つかった。窖窯の全長は一一.三~一一.五m、最大幅は二.五mあった。
 当時生産された枚数は一説には五万枚ともいわれている。平瓦で長さ四三cm、厚さ三cm、重さは七kgもあった。三五〇tにもおよぶ大量の瓦は海路で運ばれたとされる。
 数々の出土遺物は田原市渥美郷土資料館の埋蔵文化財室に展示されている。
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2008/4/25


萬祥山焼 Banshouzan-yaki 

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 萬祥山焼(ばんしょうざんやき)は、島根県出雲市大津町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 元々、大津地区は地元産の良質な粘土を利用した瓦などの窯業が盛んであった。
 明治五(1872)年頃、日野源左衛門(ひのげんざえもん)が、地元の豊富な粘土を使用して焼いたのが始まりとされる。
 開窯当時は、来原焼(くりはらやき)と呼んでいたが、後に大津町長の森広操軒(もりひろそうけん)の命名で、萬祥山焼と呼ばれるようになった。
 当初は日用雑器が主だったが、明治二五(1892)年頃から茶の道具類が主となったという。他に、酒器や花器なども製作されている。
 その特徴は青銅、伊羅保釉(いらぼゆう)などが使われる事とされている。
 萬祥山焼は、明治以来の伝統を今に受け継ぐ民芸陶器である。
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2008/2/29


楢岡焼 Naraoka-yaki 

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 楢岡焼(ならおかやき)は、秋田県大仙市南外に伝わる伝統陶器である。
 文久三(1863)年、地元旧家の小松清治が、秋田の寺内焼の陶工を招いて窯を作らせたのが始まりとされ、以後、小松氏が5代に亘って窯を守ってきた。
 時代と共に技術改良を重ねた結果、今日に見られる美しい青味を持つ焼き物が完成した。
 楢岡焼の最大の特徴は、高温で焼成した海鼠釉(なまこゆう)を、更にもう一度、酸素を入れない還元方法で炭火焼成する「海鼠釉焼締め」にある。
 この技法が、美しい青色と、時に窯の中の炎と隆灰で起こる微妙な釉の変化の面白さを生み出しているとされる。
 楢岡焼は、土を活かし、装飾を控え、使いやすさと温もり、そして美しさを追及した、秋田県が誇る伝統工芸品である。
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2008/1/24


高田焼 Kouda-yaki 

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 高田焼(こうだやき)は別名・八代焼(やつしろやき)とも呼ばれ、熊本県八代市に四〇〇年以上伝わる焼物である。
 陶工・尊楷(そんかい)は、豊臣秀吉が朝鮮出兵した折に連れてきた、数多くの優れた技術者のひとりである。一度本国へ戻り、高麗焼の技法を身につけた尊楷は、慶長七(1602)年、現在の福岡県北九州市にあたる豊前小倉の藩主・細川忠興に招かれ、上野(あがの)の窯を築いたと言われている。
 その後、細川藩の肥後転封に伴って、尊楷は息子達と共に八代郡高田郷奈良木村に窯を開き、それが後に高田焼と呼ばれるようになったという。
 素地が完全に乾く前に模様を彫り込み、そこに白土を埋め込む。そして余分な土を削り落とした後に透明な釉薬をかける、白土象嵌(ぞうがん)と呼ばれる特殊な技法が特徴的である。
 高麗の伝統を日本の今に伝える、美しく貴重な焼物である。
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一勝地焼 Isshouchi-yaki 

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 一勝地焼(いっしょうちやき)は、熊本県球磨村(くまむら)の一勝地に伝わる焼物である。
 江戸中期の安永五(1776)年、相良(さがら)藩士の陶工であった右田伝八(みぎたでんぱち)が、江戸で陶法を学び、その後一勝地の場所に優れた陶土を発見し、各地の陶工を招いて開窯したと伝えられている。相良藩の御用窯として保護を受けながら、高い格式を誇っていたが、明治中期に後継者がなく廃窯したという。
 その後、昭和一二(1937)年再興を図り、昭和三二(1957)年に、現在の成田勝人が継承、昭和四六(1971)年に新窯を設け、作陶を続けている。
 一勝地焼は、ほかの焼き物に比べて約一四〇〇~一五〇〇度という、かなりの高温で焼き、飴色の独特の色をだした、素朴な硬質の陶器をつくりあげる。
 茶器や大皿のほか、球磨地方独自の酒器「そらぎゅう」などが作られている。そらぎゅうとは、底が平らではないため、飲み干すまで机に置くことができず、「そら」とすすめられて「ギュウ」と飲み干すとの意味からその名がついた。
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