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2008/7/31


紫苑色(シオンイロ) Shion-iro 

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 紫苑(しおん)はキク科の植物で、秋には紫がかった薄いピンク色の小菊のような花をたくさん咲かせる。紫苑そのものは古くから栽培されており、平安時代にはこの花の色が由来である紫苑色(しおんいろ)という色名が生まれていたといわれている。
 古代より紫色は高貴な色とされてきたが、その気品や風格だけでなく、艶やかな色としても好まれ、貴族達にも大変人気があったといわれる。
 平安時代の歌人・清少納言は紫苑色を特に好んだといわれ、源氏物語や枕草子など作品にも度々描かれている。
 また、一二単の「重ねの色」のひとつにもなっている。
 紫草を染料として、何度も繰り返して染め上げられる、ややくすんだ青紫の紫苑色は、今も日本人に好まる伝統色のひとつである。
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2007/10/9


上川崎和紙 Kamikawasaki-washi Kami-Kawasaki Washi Paper

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 上川崎和紙(かみかわさきわし)は、福島県二本松市上川崎に伝わる伝統工芸品である。県の重要無形文化財に指定されている。
 今から千年以上前、平安の中期、冷泉天皇(967~969)の頃に始められたと言われており、平安時代には「みちのくの紙」として上流社会で珍重され、紫式部や清少納言たちに愛された「まゆみがみ」はここで漉かれたていたとも言われている。
 江戸時代には、二本松藩、丹羽藩主が産業振興の立場から紙漉きを許可制にして奨励し、今日の手すき和紙の基礎が築かれた。
 この時代には、既に原料には地元・上川崎で栽培した楮と、とろろ葵を主としており、江戸時代寛政年間の書物、紙漉重宝記によると、その製法・技術は現在とほぼ変わっていない。
 上川崎和紙は、伝統の技を受け継いだ歴史ある和紙である。
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2007/9/28


白石和紙 Shiroishi-washi Shiroishi Washi Paper

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 白石和紙(しろいしわし)は、宮城県白石市に伝わる伝統工芸品である。
 平安時代中期以後、ふくよかで、清く、うるわしく、気品のある格調高い紙として、清少納言の枕草子や紫式部の源氏物語の中などに「みちのく紙」として登場しているのが白石和紙の起源ではないかとされている。
 慶長五(1600)年の関ヶ原の戦い以後、伊達政宗の領地となった白石では、政宗の家臣であった片倉小十郎が冬季の内職として紙作りを推奨し、その直後から続々と紙漉き人が各方面から入ってきたと言われている。
 未だに全て手作りであり、とても高品質な和紙として、東大寺の「お水取り」の儀式や、第二次世界大戦の降伏文書などに使用されてきた。
 白石和紙は、清く麗しい典雅な和紙である。
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2007/2/2


石山寺 Ishiyamadera Ishiyama Temple

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 石山寺は、滋賀県大津市にある真言宗の寺であり、西国第十三番札所である。本尊は如意輪観音。
石山寺は天平十九(747)年、聖武天皇の勅願により、良弁僧正によって開基された。
 3万6千坪に及ぶ高大な境内には、日本唯一の巨大な天然記念物であり、世界的にも珍しい「珪灰岩」がそびえ、「石山」の名の由来にもなっている。
 国宝の本堂には、聖徳太子が伝えた縁結・安産・福徳の秘仏、勅封の御本尊如意輪観世音菩薩をはじめ、紫式部が源氏物語を執筆した「源氏の間」がある。
 そのほか、蓮如上人の遺跡である蓮如堂、国宝の多宝塔など、奈良、平安、鎌倉時代からの文化財が多数伝えられている。
 清少納言、和泉式部、藤原道綱の母、菅原孝標の女など、女流文人が利用した事でも有名である。
 石山寺は、古代の文化にも影響を与えた、文人の寺である。
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