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2008/4/15


三井八郎右衛門邸 Mitsui-Hachirouemon-tei Residential House of Hachirouemon Mitsui

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 東京都小金井市「江戸東京たてもの園」の三井八郎右衛門邸は、昭和二七(1952)年に麻布笄(こうがい)町(現在の港区西麻布三丁目付近)に建てられた。
 一階に客間、食堂、厨房、配膳室など、そして二階に夫婦の寝室、浴室、仏間などがある間取りとなっている。
 戦火で焼失した三井総領家の邸宅建設にあたり、各地の三井家の建物から部屋が移築され、建築部材や石材が集められた。京都にあった客間は明治三〇(1897)年頃、そして食堂、土蔵なども明治期のものである。
 和室の客間はカーペット、テーブルに椅子というスタイルで、天井には剪綵(せんさい)と呼ばれる色糸や絹布などで作った細工物が施されている。階段上には、今では珍しいチェコガラスの豪華なシャンデリアがあり、すぐ隣の仏間の襖の引手にはターコイズカラーの七宝焼がはめ込まれている。
 この建物は、和と洋を拮抗させた空間に満ち溢れ、まさに江戸から明治、昭和の三井家のエッセンスがいたるところに凝縮されている。
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2008/3/7


旧佐藤家住宅 Kyuu-satou-ke-juutaku The Old House of the Sato Family

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 旧佐藤家住宅(きゅうさとうけじゅうたく)は宮城県の高蔵寺内に保存されている、一八世紀中頃、江戸時代中期の本百姓の標準的住居である。
 間口である玄関は一四・九メートル、奥行きは七.八メートルの棟を一直線につくる直屋形式(じきやけいしき)である。屋根は四方向に傾斜する茅葺の寄棟造(よせむねつくり)で、屋根の全面にはこの地方独特の半円形に膨らませた櫛形破風(くしがたはふ)の煙出しが付いており、中に入ると広間と土間庭の間仕切りが無い、東北地方独特の間取りとなっている。柱は太い粗削りの鳥居建てという古式の構造である。
 佐藤家は昔「車屋」の屋号を持ち、古くは修験者が住んでいたともいわれている。
 昭和四七年、現在の地に移転され、県指定重要文化財に指定された。
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旧中沢家住宅 Kyuu-nakazawa-ke-juutaku The Old House of the Nakazawa Family

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 旧中川家住宅(きゅうなかがわけじゅうたく)は宮城県名取市の十三塚公園内に保存されている江戸時代中期頃の名取市の標準的農家である。
 建物の構造は屋根が四方向に傾斜する茅葺の寄棟造(よせむねつくり)で、内部は田の字のように四間取りとなっている。この間の取り方は、この地方独特のもので「名取型」と呼ばれている。土間と座敷は仕切りが無く「うしもち柱」「ほいと柱」「嫁かくし柱」と呼ばれる三本の荒削の独立した柱で支えられている。そのため東北地方独特のそぼく且つ重厚間のあるどっしりとした雰囲気がただよう。
 旧中川家住宅は昭和四八年までは実際に人が居住していたが、昭和四九年に国指定の重要文化財となり、昭和五〇から昭和五一年にかけて改築、この地に移転された。
 江戸時代の庶民の生活を今に伝える大変貴重な国の財産である。
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2007/10/18


旧本田家住宅 Kyuu-honda-ke-jyutaku 

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 「旧本田家住宅」は、長崎県下でも最古の農家住宅のひとつで、旧大村藩領古河村(現長崎市古河町)に遺存。建築年代は定かではないが、本田家は明和年間(1764〜1771年)にこの地に定住しているので、この住宅もその頃に建てられたと推定されている。
 本屋根は茅葺き。下屋は瓦葺きが普通だが、これは下屋も茅葺きである。4室あるうち、土間寄りの2室の間に仕切りを除いて1室とした、いわゆる三間取りの平面を持つ。土間の流しは「はしり」と呼ばれる、しゃがんだ姿勢で炊事を行う独特の形式である。
 旧本田家住宅は、昭和四六(1971)年に国の重要文化財に指定された。
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2007/7/10


岩手 旧後藤家住宅 Iwate Kyuu-gotouk-e-jyuutaku 

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 江戸時代の豪農の住宅をそのままとどめる貴重な遺構、「旧後藤家住宅」。岩手県奥州市前沢区七日町に所在する。
 建立年代は定かではないが、解体工事中に地下掘立柱の穴底から発見された笠塔婆の残骸に、元禄八(1695)年の記録があることから、江戸時代の建造と推測されている。
 旧後藤家住宅は、南部の曲り家式家屋(平面がL字形をし、突出部が広い厩となっている構造)、東北地方における民家の形式を代表する家屋。間取りは、全体の半分を占める土間と、床上に二列の部屋を配した平面からなり、上・下屋から構成されている。土間には、断面多角形の太い上屋柱が林立している。直家、寄棟茅葺の原形をとどめ、盛土や無双窓など、日本の民家の建築史上大変貴重なものである。
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2007/5/11


三百田氏住宅 Sanbyakudashi-jutaku The Old House of the Sanbyakuda Family

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 三百田(さんびゃくだ)氏住宅は、鳥取県若桜町内の吉川集落にあった庄屋・三百田氏の旧宅で、現在は若桜郷土文化の里に移築・復元されている。
 「一代普請方合力人数帳」という古文書には、819人が一年以上かけてつくりあげ、江戸中期の元禄七(1694)年に完成したことが記されている。
 建築様式は因幡地方の特徴である、入り母屋茅葺き屋根で梁行四間・桁行七間半のいわゆる「四八」の造り。内部は土間ぞいに広間を持つ「広間型三間取り」である。
 一部の梁は鉋で仕上げられており、当時の民家としてははるかに先進的な工法であるが、これは、播州の宮大工が普請したことと関係すると見られている。また小屋梁や床下の大引のつくりから、地元の材木を工夫して大切に用いているのがわかる。
 外装には中国地方の古民家特有の「置き千木型」の棟飾りが施され、重厚な茅葺き屋根と相まって庄屋らしい堂々たる風格を感じさせている。
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矢部家住宅 Yabekejutaku 

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 鳥取県八頭町(やづちょう)用呂(ようろ)の集落に「矢部家住宅」がある。鳥取県内で最古の民家だ。国の重要文化財に指定されている。
 江戸時代に代々庄屋を務めてきた矢部家の屋敷で、江戸時代の初め、17世紀初頭に建築されたとされる。
 茅葺きの大きな屋根を戴いた要り母屋造りの母屋は庄屋らしい堂々たる外観を持つ。梁行(はりゆき)は五間半。桁行(けたゆき)は十一間と規模も大きく格調の高い建物だ。間取りは当時の上層民家の典型である「広間型五間取」である。座敷の大きな囲炉裏が、江戸期の生活の様子を偲ばせる。
 庭には樹齢およそ270年のヤブツバキがあり、冬には白、赤、桃色の花を咲かせる珍しい「咲き分け椿」が見られる。
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2007/4/27


洞口家住宅 Horaguchi-ke-juutaku 

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 洞口家住宅(ほらぐちけじゅうたく)は、宮城県名取市大曲にある古民家で、国指定重要文化財となっている。
 大曲の旧家である洞口家の住宅で、和室が田の字に4つ並んだ名取型という間取りになっており、この形式では旧仙台藩領内最大規模である。
 建築年代は、江戸時代の宝暦年間(1751〜63年)と推定される。敷地は1500坪以上で、堀と居久根を巡らした近世の環濠大型古民家であり、「たてやしき」又は「たてのいえ」と呼ばれ親しまれてきた。
 母屋は、寄棟造、茅葺、石場建てで、桁行24.8m、梁間11mほど。母屋前には明治二一年の建築といわれる寄棟造、茅葺の表門と馬屋が配されている。
 洞口家住宅は、中世の面影を今に遺す貴重な古民家である。
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