NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/22


アクリルのからくり人形 Akuriru-no-kawakuri-ningyou Acrylic Karakuri Doll

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 「からくり」は、機巧、絡繰、機関などと書かれるように、日本の伝統的な機械仕掛けのものを指し、特に江戸時代には、時計の歯車の技術を導入した精巧なからくり人形が作られた。
 その「からくり」の仕掛けをわかりやすく図示して世に公開したのが、土佐の郷士、細川半蔵である。この江戸時代の機械工学書『機功図彙(からくりずい)』は多くの職人が技術を発展させるきっかけになり、日本のロボット製造技術の原点ともいわれている。
 そして20世紀に誕生したアクリル樹脂。半蔵の「公開魂」は、この「からくり」を復元した大野勇太郎にも受け継がれ、アクリル製のからくり人形が誕生した。
 現在の最先端技術による透明な歯車の美しさ、それが組み合わさった姿、そして歯車の動く様子が見られるのがすばらしい。
 綺麗な着物を着た人形が美しくお茶を運んでくれる。そのこと自身がとてもエキサイトであるが、中味を知りたい。作りたい。そして仕掛けも綺麗に見せたい。
 そんな職人達の気持ちが日本の美意識を支えている。
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2007/10/11


親鸞 Shinran Shinran

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 親鸞(しんらん)は、鎌倉時代初期の僧。浄土真宗の開祖。
 承安三(1173)年、京都・日野に誕生。九歳から二九歳まで、比叡山にて堂僧として修行を積む。その後、浄土宗開祖・法然の門弟となり、「他力念仏」の道を極めた。
 専修念仏の弾圧により、法然・親鸞ら八名が流罪となる。法然と生き別れした親鸞は、越後で俗名を名乗って暮らした。
 赦免の後、関東の常陸(現・茨城県)に移り、法然の教えを土台に、約二〇年間に及ぶ伝道布教を行った。親鸞は権力を持たずに、非僧非俗の立場を貫いた。
 帰郷し、主著『教行信証』(顕浄土真実教行証文類)を初め、多くの書物を仕上げた。浄土真宗の核が完成し、様々な継承・発展を遂げた。口承の書として、『歎異抄』が有名である。
 弘長ニ(1262)年、九〇歳で往生。没後に皇室から見真大師の諡号を贈られる。
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2007/10/9


上川崎和紙 Kamikawasaki-washi Kami-Kawasaki Washi Paper

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 上川崎和紙(かみかわさきわし)は、福島県二本松市上川崎に伝わる伝統工芸品である。県の重要無形文化財に指定されている。
 今から千年以上前、平安の中期、冷泉天皇(967~969)の頃に始められたと言われており、平安時代には「みちのくの紙」として上流社会で珍重され、紫式部や清少納言たちに愛された「まゆみがみ」はここで漉かれたていたとも言われている。
 江戸時代には、二本松藩、丹羽藩主が産業振興の立場から紙漉きを許可制にして奨励し、今日の手すき和紙の基礎が築かれた。
 この時代には、既に原料には地元・上川崎で栽培した楮と、とろろ葵を主としており、江戸時代寛政年間の書物、紙漉重宝記によると、その製法・技術は現在とほぼ変わっていない。
 上川崎和紙は、伝統の技を受け継いだ歴史ある和紙である。
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2007/8/9


今山八幡宮 Imayama-hachiman-guu Imayama Hachimangu Shrine

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 延岡市の市街地を一望できる今山。その山頂に今山八幡宮がある。木々が青く生い茂り、真夏でもひんやりとした心地よい清涼感漂う参道を上ると、左右に控える狛犬達が歴史の古さを感じさせる社殿があらわれる。
 今から1250年余り前の天正勝宝二(750)年、時の領主土持直綱が領内の守護神として宇佐八幡宮の分霊を受け、城の鬼門の方位に勧請(かんじょう)したといわれている。
 書物「宇佐大鏡」の記述によると、当時この地は宇佐八幡宮の神領であったことが窺知されており、献納物を納めていたことが明らかで、当時の領地の住民にとって宇佐詣は容易ではなかったが、この勧請により参拝が容易になったといわれている。 合わせて10柱の神々が祀られており、歴代の藩主が領内の守護神社として崇敬した。
 現在は宮崎県北一の大社として、氏神・産土神と仰がれ、多くの信仰を集めている。
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2007/7/25


刀剣研磨 Touken-kenma 

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 刀剣研磨(とうけんけんま)は、通常の刃物研磨とは一線を画するものである。
 通常の刃物研磨は、切れ味が悪くなったものを研ぎ直すことを一番の目的としているが、刀剣研磨においては、刃を付け斬れるようにしたり、より切れ味を増すことも前提としてあるが、さらにそこから様々な作業を行い、刀身の地鉄や刃文の美しさが際立つように砥ぎ、最終的には刀工の個性を最大限にまで引き出すことを大きな目的としている。
 その歴史は古く定かではないが、平安時代の書物からは研磨に関する記述が発見されており、鎌倉時代にも研師の名前が記録されるなど、この頃にはすでに研磨という分野の重要さが、ある程度確立されていたと考えられている。
 現代では美の観点から嗜まれる日本刀だが、その美をとことんまで追求、高度な手法を駆使して、刀工の作風や鍛錬法に基づく微妙な地鉄の特質を引き出し、その魅力を余すことなく表現する術は、もはや芸術の域にあるといっても過言ではないだろう。
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2007/6/25


阿寒富士 Akan-fuji Akan-fuji

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 マリモで有名な阿寒湖のすぐそばに、寄り添うように二つの大きな山がある。
 一方は比較的凹凸のある大きな山頂を持ち、隣にあるもう一方は、寄り添うように隆起しながらもその姿はまるで正反対の、鋭い円錐状の山容を誇っている。
 その見た目から北海道の富士山にも例えられる山が阿寒富士である。
 標高は1477mあり、すぐ隣にある最高峰の雌阿寒岳よりわずかに低い程度である。
 多くの場合において、阿寒の名峰と呼ばれる雌阿寒岳とセットの見られる傾向にあるが、その山容とは裏腹に程よく登りやすい山であるため、雌阿寒岳からの縦走者や山麓にある神秘の湖オンネトー経由の人など、多くの登山者が訪れる山でもある。
 書物によっては隣の雄大な雌阿寒岳のピークの一つとして記されている場合もあり、ある意味阿寒富士はその子供のような存在なのかもしれない。
 活火山でもある厳しい母の元で育った息子はずいぶんと大きいようだ。
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2007/3/13


金峯神社 Kinpu-jinja Kinpu Shrine

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 金峯神社(きんぷじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある神社である。祭神は、金山毘古命(かなやまひこのみこと)、金山姫神(かなやまひめがみ)とされる。金山毘古命は、吉野山の地主神である。
 吉野の最も奥の奥千本にあり、杉や桜の老樹におおわれて鎮座している、夏でもひんやりとした冷気につつまれている神社である。
 金峰神社脇の小径を下った場所には、義経隠れ塔という義経伝説を持つ塔が建っている。
 金山毘古命は、金鉱の守り神でもある。かつてこのあたりは「御金の岳」と呼ばれて金鉱があると考えらた一帯であり、古い書物には「金峯山はみな黄金なり」などと記されている。
 金峯神社は修験道の道場ともなっており、今でも毎年数百人の修験者が山伏姿で山上ケ岳を目指しているという。
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2007/2/7


江戸筆 Edo-fude 

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 江戸筆は、東京にて造られる伝統工芸品である。
 610年頃、高句麗の僧・曇徴(どんちょう)が紙、墨の製法を招来し、これが筆墨硯渡来の始まりとされる。
 以後、筆は京都を中心に広まったが、江戸時代(1600年代)に入って商人と寺子屋が急増し、江戸の筆需要は急増した。
 江戸筆職人は、供給元としてその技術を磨き、その後の大火や幾たびもの戦災で規模を縮小しつつも、伝統の技を守り続けてきた。
 江戸流の製造法「練りまぜ法」は、元禄期に細井広沢により確立された手法で、明治5年の学制発布と共に急速に広まった。
 関東大震災、第二次世界大戦の惨禍により、筆職人の多くは東京を離れたが、東京に残った筆職人は高級筆の製造に活路を見出し、技術技法の継承を図っている。
 江戸筆は、日本の書物や浮世絵を影で支えてきた、欠く事の出来ない実用工芸品である。
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