NIPPON Kichi - 日本吉

記事数17件: 1~8 件表示     >>     >|  

2007/10/11


宇和津彦神社 Uwatsuhiko-jinja 

Jp

 宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)は延暦一一(792)年創建といわれる古社で、大国主命(おおくにぬしのみこと)と宇和津彦命(うわつひこのみこと)を主祭神とする。藩政時代には藩の総氏神として伊達家の崇敬を受け、南与地域の人々からは「一宮さま」と呼ばれ親しまれてきた。かつて社殿は宇和町内にあったが、伊達藩による宇和島城下の造成で現在地に移されたといわれている。本殿の様式は切妻造、檜皮葺。境内から見る宇和島城の姿が美しい。
 毎年一〇月二九日には宇和津彦神社秋季例大祭が行われる。この例大祭では、八ツ鹿踊り、牛鬼、獅子舞、槍振りなどの伝統芸能が繰り広げられる。特に、伊達氏とともに東北から伝えられ市の無形民俗文化財に指定されている八ツ鹿踊りが奉納されると、氏子らに代々受け継がれてきた牛鬼の先導する神輿が町を練り歩き、祭は佳境を迎える。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/14


宮崎 幸福神社 Miyazaki Koufuku-jinja Kofuku Shrine in Miyazaki

Jp En

 日向市にある「幸福神社(こうふくじんじゃ)」は、富高陣屋の鎮守稲荷として、安永五(1776)年正月に伏見の正一位稲荷五社大名神の分霊を祀ったとされる。富高陣屋は、日向天領を治めた日田代官所の出張所であった。揖斐富治郎(いびとみじろう)代官はその陣屋の鬼門除けとして、この神社を勧請したとされる。
 後の明治元年、町内の天神社その他の社を合わせ、大国主神(おおくにぬし)、事代主神(ことしろぬし)、宇迦之御魂神(うかのみたま)、少名彦神(すくなひこのかみ)、岩永姫命(いわながひめのみこと)、菅原道実公を合祀した。
 食物の神であり農耕農作の神である稲荷を幸とし、大国主神は福の神であることから福として、幸福神社と名づけたと伝えられている。
 神社の境内には、樹齢百十数年といわれる珍しい夫婦楠がそびえ立ち、神社の名に相応しいシンボルともなっている。その名前にあやかり、幸せを願う参拝者が多く訪れる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




門川町 中山神社大祭 Kadogawa-cho Nakayama-jinja-taisai The Grand Festival at Nakayama Shrine in Kadogawa

Jp En

 中山神社は門川町(かどがわちょう)にあり、天安元(857)年、文徳天皇の時代に出雲大社から分霊したといわれる。
 この神社は大己貴命(おおあなむちのみこと)など四神を祀っている。大己貴命は大国主神(おおくにぬしのかみ)のことで、色好みの一面を持った神様で知られる。その昔、狭い参道で若い男女がすれ違うと恋が芽ばえると言われ、縁結びで有名になった。
 縁結びのご利益のほか、商売繁盛でも知られ、特に一月七日におこなわれる大祭では、年男や厄年を迎えた男の人などが、白鉢巻きに白足袋のふんどし姿で大きな掛け声を上げて、境内までの石段を一気に駆け上がる「裸まつり」が有名である。男たちは寒さの中、境内で冷水を頭から浴びて身を清め、家内安全や無病息災などを祈願する。
 昔から、男はふんどし姿、女は腰巻きで参拝していたといわれており、「中山さんは、良い神よ 着物がなければ、裸で良い 草履がなけりゃ、裸足で良い」という歌が残されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/30


大洗磯前神社 Ooarai-isozaki-jinjya Oarai Isozaki Shrine

Jp En

 茨城県大洗磯浜にある大洗磯前神社。創立は斉衡三(856)年。
 その頃、度々地震が発生して、人心が動揺し、国内が乱れていた。大己貴命(大国主神)はこうした混乱を鎮め平和な国土を築くために降臨されたと伝えられている。
 時代が下り、永禄年間(1558~1569)には兵乱のために、社殿以下の諸建造物がことごとく焼失。その後、江戸時代になって、水戸藩主徳川光圀は元禄三(1690)年、社殿の造営を起工し、次いで綱條の代には本殿、拝殿、神門にいたるまでの建造が完成した。
 現存する社殿、神門等は当時の建造物で、社殿の彫刻と共に徳川初期の様子を偲ぶ文化財として貴重なものとなっている。
 商売繁盛、家内安全、陸海空の交通安全、厄除招福、諸願成就の守護神、更には酒造の大神、病難に苦しむ人々を治癒してくださる医療厚生の大神と仰がれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/27


富士見 赤城神社 Fujimi Akagi-jinja Akagi Shrine in Fujimi

Jp En

 富士見の赤城神社は、群馬県勢多郡富士見村にある神社である。祭神は、赤城大明神(赤城山)、大国主命、磐筒男神、磐筒女神経津主神。上野国二宮の論社のひとつ。
 神社の創建される昔から赤城山と湖は神格化され自然崇拝の対象となっており、神社の創建年代は不明である。
 大同元(806)年、赤城神社は元の地より、大沼南の水辺に遷宮された。以後、大洞赤城神社の名で親しまれ、江戸期には幕府に保護され、篤く信仰された。
 各地に分社が勧請されており、赤城山登山口に建つ鳥居は、村人たちにより奉納された物である。
 寛永一九(1642)年、徳川家光の命により建築された社殿は、昭和四五(1970)年、小鳥ヶ島に移し、再建された。
 赤城神社は、古代より山岳信仰にて崇敬される社である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/3


小園臼太鼓踊り Kozono-usu-daiko-odori Kozono Usudaiko Odori

Jp En

 小園臼太鼓踊り(こぞのうすだいこおどり)は、宮崎県東臼杵郡門川町小園の門川神社(かどがわじんじゃ)にて毎年11月に奉納されている民俗芸能である。
 門川神社は、享禄三(1530)年、人畜守護のために勧請された神社で、祭神は宇気母智神、大国主命、大山祇神、猿田彦神。
 秋の門川神社大祭では、もちまき、大人御輿、子ども御輿などと共に、小園臼太鼓踊りが夜7時過ぎ頃から古えの戦勝を祝って踊られる。
 古えの戦勝とは豊臣秀吉の出兵に関連していると言われており、陣中で舞われたものと思われる。
 踊りは、人を集める道鏡から始まり、出兵の内容を盛ったうたが静と動で構成され、踊りの各部分に伝わっていく。
 小園臼太鼓踊りは、古くから門川町に伝わる勇壮な舞踊である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/19


志那祢祭 Shinane-sai Shinane Festival

Jp En

 志那祢祭(しなねさい)は、別名「志那祢さま」とも呼ばれる、高知県高知市の土佐神社にて毎年8月24日、25日に行われている祭りである。土佐の三大祭りのひとつとされている。
 土佐神社は、大国主神の子どもである味すき高彦根神と、一言主神を祀り、5世紀後半に創建された四国随一の大社である。
 祀られているしなね様は、国土の開拓、農工商あらゆる産業の繁栄、航海安全、交通安全、病気平癒、家内安全などの神とされる。
 祭りでは、24日夕方からは太鼓や神楽の奉納行事が行われ、300mの参道に夜店がぎっしりと並び、多くの参拝者で賑わう。
 25日は祭儀が中心で、笙・笛・太鼓が雅に奏でられるなか、神体が神殿から神輿へ乗り移る古式神事がゆっくりと行われる。
 志那祢祭は、昔から、「しなね様が終われば夏が終わる」といわれてきたように、季節の風物詩として近郷の人々の暮らしにすっかり溶け込んでいる祭りである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/29


永山神社 Nagayama-jinja 

Jp

 永山神社(ながやまじんじゃ)は、北海道旭川市永山地区にある神社。屯田兵により建てられたもので、旭川で最も古い神社である。
 創建は明治二十四(1891)年。永山に入植した岡山県出身の屯田兵が、出身地の御分霊である天照大神、大国主神を頂き、現在の永山駅裏に小さな祠(ほこら)を建て祀ったのが始まりとされる。
 明治四十五(1912)年に社殿を現在地に移転。以来110年余に渡り地域の繁栄と発展を見届けてきた。
 屯田兵入植完了をした7月1日を「入地記念日」とし、毎年「永山祭」が開かれ、今でも神輿かつぎや獅子舞、奉納弓道、奉納相撲などが盛大に行われ、旭川市民はもとより近郊町民が大勢訪れるという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数17件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter