NIPPON Kichi - 日本吉

記事数67件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/3/24


賽銭 Saisen Saisen

Jp En

 賽銭(さいせん)とは、神に奉げる供物の一種で、祈願成就のお礼や参拝の際などに奉納する金銭のことである。古くは、米などの五穀を紙に包み奉納するのが主で、時には衣服や武具など食物以外の幣帛(へいはく)を供えた。
 その後、貨幣制度の発達に伴って、金銭を奉納するということが自然発生的に生まれ、室町時代に入って金銭を入れるための賽銭箱が置かれるようになったとされる。
 記録に残る最も古い賽銭箱としては天文九(1540)年、鶴岡八幡宮に置かれた散銭櫃(さんせんびつ)という箱だと伝えられている。
 多くの場合、神社や寺院の前に置いている賽銭箱に賽銭を投入してから、神社なら拍手、寺院なら合掌を行い、神仏への祈願や成就のお礼を心の中で唱える。投入する金額に決まりはないが、古くから願いにかけた語呂合わせで投入額を決めるということがなされており、縁結びならご縁にかけて5円、商人なら福来いで2951円などがあるとされている。
 いつの世も、神様へのお願い事は不変なのかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/5


月のお皿 Tsukino-osara Moon Plate

Jp En

 かつて日本には、満ち欠けによって形を変える月を描写する多くの言葉があった。新月、繊月(さんげつ)、三日月、上弦の月、下弦の月、小望月(こもちづき)、立待月(たちまちづき)、寝待月(ねまちづき)、有明月などの呼び名は、どれも風情にあふれている。
 柴田睦子作「月のお皿」は、金色の飛沫模様が美しい平らな皿だ。デザインはシンプルにして、その姿は威風堂々。静かさの中に強さがある。乗せる料理や季節の食材によって、皿と料理のふたつの表情が豊かに変わる様を味わえるのは、日常の贅沢。
 料理をあしらっておぼろ月夜に見立てるもよし、金の飛沫に月光のしずくを感じるもよし。客人のもてなしはもちろんのこと、ふだんづかいの皿としても役立つ一品である。
 
サイズ:(センチ)
(大)横27×奥27×高2・5
(小)横15×奥15×高2
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/28


城下町 大聖寺 Joukamachi Daisho-ji Castle town,Daishoji

Jp En

 石川県加賀市の大聖寺(だいしょうじ)は、加賀百万石の支藩、大聖寺藩の城下町として栄えてきた歴史と伝統文化の息づく町だ。
 江戸時代からの街並みをそのままとどめ、しっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせている。錦城山城址のふもとには禅宗、日蓮宗などの古刹が立ち並び、年間を通して史跡めぐりを楽しむ人々が絶えない。
 特に実性院(じっしょういん)は、5月に咲く藤の花の全国的な名所としても知られている。金箔をあしらった障子画も見事だ。また、大聖寺3代藩主の藩邸跡の一部に当たる江沼神社境内にある「長流亭」は、兼六園を模して作庭されたとされ、書院や茶室など、隅々にまで凝らされた意匠が興味深い。この庭園は、国の重要文化財に指定されているという。 
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/22


文様 七宝(シッポウ) Monyou Shippou 

Jp

 七宝(しっぽう)とは、同じ円を円周の四分の一ずつ重ねていく和文様である。
 和文様とは、平安時代以来、公家の服装・調度品や装飾に用いられた形、色、構成などに独自の優美な様式を持つ図柄の総称である。
 同じ大きさの輪を互いに交錯させて規則正しく繋げた図形で、四方に広がって無限に続いている。
 縦横に広がるので「十方」ともいい、仏教でいうところの金、銀、瑠璃、玻璃(はり)、しゃこ、珊瑚、めのうの七種の財宝、つまり七宝と音が似ているところから転訛したものとされる。
 七宝の円形は円満を表し、吉祥文様の一つで、そのイメージが定着して宝尽くしの一つに数えられるようになった。
 文様・七宝は、刺繍や友禅染の図案の中で空間を埋め、華やかな色彩を加える役割を果たしている、伝統的な和文様である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/9


七宝焼き Shippou-yaki 

Jp

 七宝焼き(しっぽうやき)とは、日本伝統の工芸技法である。
 陶磁器のように土を焼くのではなく、土台に金、銀、銅などの金属を用いてその表面にガラス質の釉薬(ゆうやく)を施し、短時間で焼成する。
 七宝焼きは中近東で生まれ、シルクロードを通って中国から日本に伝わったとされている。
 かつては刀装具や釘隠し、襖の引き手などの装飾に使われていた。しかしその技術は各家の秘伝であり、万人に広まることはなかった。
 京都の平田道仁(ひらたどうじん)が、江戸時代初期に朝鮮半島の工人に七宝焼きの技術を学んだと言われている。また、江戸時代後期には尾張の地で梶常吉が独力で七宝焼きの技法を解明し、「近代七宝」が始まったとされる。
 七宝焼きは、金・銀・瑠璃・しゃこ・めのう・赤珠の七種の宝石の美しさを表現したと言われる伝統的な工芸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します