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天平勝宝八(756)年六月二一日、光明皇后が聖武天皇の七七忌に、遺品を大仏に献納したのが正倉院(しょうそういん)宝物の始まりといわれている。
「正倉」とは寺の倉庫の意味で、かつてはどこの寺にも存在していたものだが、現在では東大寺のものだけが残り、固有名詞となっている。もともとは東大寺の倉庫であったが、現在は東大寺を離れ、宮内庁の管轄となっている。
この建物は奈良時代につくられ、三角の木材を組み合わせた「校倉造り(あぜくらづくり)」の内部は三倉に分かれており、「三ツ倉」とも呼ばれている。また高床式になっており、聖武天皇の遺愛品や東大寺の年中行事で使用される仏具、そして遣唐使や留学生が持ち帰った工芸品などが納められている。
正倉院宝物は通常は見ることができないが、毎年一〇月下旬から一一月にかけて曝涼(ばくりょう)と呼ばれる虫干が行なわれ、この時に一部の宝物が奈良国立博物館で「正倉院展」として公開される。
「正倉」とは寺の倉庫の意味で、かつてはどこの寺にも存在していたものだが、現在では東大寺のものだけが残り、固有名詞となっている。もともとは東大寺の倉庫であったが、現在は東大寺を離れ、宮内庁の管轄となっている。
この建物は奈良時代につくられ、三角の木材を組み合わせた「校倉造り(あぜくらづくり)」の内部は三倉に分かれており、「三ツ倉」とも呼ばれている。また高床式になっており、聖武天皇の遺愛品や東大寺の年中行事で使用される仏具、そして遣唐使や留学生が持ち帰った工芸品などが納められている。
正倉院宝物は通常は見ることができないが、毎年一〇月下旬から一一月にかけて曝涼(ばくりょう)と呼ばれる虫干が行なわれ、この時に一部の宝物が奈良国立博物館で「正倉院展」として公開される。
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