NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/8


鯛まつり Tai-matsuri 

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 鯛まつりは、愛知県知多郡南知多町豊浜にて毎年7月中下旬の土日に行われている祭りである。祭りでは、長さ10~18mの竹と木の骨格に白木綿を巻いて作った大小の鯛5匹が若者達にかつがれ、街中や海を練り回る。
 起源は江戸時代からで、最初の祭りのだし物はイノシシであった。その時々の思いつきで一年、あるいは数年おきに象、牛、虎、兎などが造られて使用されていたため、「思いつき」と呼ばれていた。
 明治一八(1885)年ころ、祭礼に興を添えようとハツカネズミの張りぼてを造ったのが今の形態のはじめで、その後魚類になり、大正初期に「大鯛」に、昭和初期には胴内ではやしながら海に泳がせるようになった。
 鯛まつりは、そのユニークさで全国的に名をはせ、外国の切手にもなった勇壮な海の祭りである。
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2008/7/17


田面船 Tanomo-fune 

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 田面船(たのもふね)は、広島県尾道市に伝わる屋形船の郷土玩具である。
 旧暦八月一日(九月一日)の田面の節句に、男子の生まれた家へ贈られる船のことで、男子が歩けるようになると田面船を曳いて、産土神(うぶすながみ)に参る風習があり、この時期になると作られるという。
 この玩具は、神棚作りで余った材料を片手間に、手作業で作られるもので、その季節が近づかないと作られないという。
 田面とは「田の実」の事で、豊作を祈る農家の祭りである。この地方では祭りが盛んで、田面の船にお米の粉を蒸してお餅状のものに細工をした「しんこ細工の馬」や「人形」を飾って川へ流すという。
 元来は豊作祈願であったのだが、後に幼児の健やかな成長祈願の意味を加えてきたとされる。
 この船は、北国から鰊(にしん)や昆布を運んできた船を模ったとも言われ、船腹には波模様・鶴・鯛などの縁起ものが描かれている。田面船は、長い歴史を誇る郷土玩具である。
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2007/11/15


宝船熊手 Takarabune-kumade Takarabune-kumade (Treasure Ship Rakes)

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 毎年一一月に催される酉の市。その発祥の地とされる浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市だけで販売される縁起物が宝船熊手だ。製造販売している店は現在、浅草「よし田」のみ。サイズは二寸から一尺三寸まであり、酉の市が終わった日から一年かけて作られる。
 型で切り抜いた紙に線を描き、絵の具で彩色。面相(顔描き)をすませた人形を宝船に刺し込み、全体のバランスを整えれば完成。特に難しいのが表情を描き分けなければいけない面相だ。この手描きの手法は江戸時代から代々受け継がれてきたもの。現在は「よし田」大女将の吉田啓子さん、長女の京子さんが継承している。
 七福神や財宝、鯛などが鮮やかに彩られ、注連縄の先端を船の舳先に似せて熊手全体が宝船に見立てられているのが特徴。全体に赤い色を使っていることから「赤物」と呼ばれている。鷲神社の酉の市で最も人気の高い縁起物のひとつである。
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2007/10/31


西琳寺 Sairin-ji Sairinji Temple

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 西琳寺は、大阪府羽曳野市古市にある高野山真言宗の寺院である。本尊は薬師如来立像。
 欽明天皇の勅願寺として建立された向原寺を起源とし、7世紀前半に百済系渡来人の王仁博士の後裔である西文(かわちのふみ)氏が開基したとされる。
 出土品の瓦などから、飛鳥時代の創建が裏付けられているが、境内の庭に置かれた高さ2メートル近い塔礎石は重量27トンを超え、塔礎としては飛鳥時代最大のものである。また、当時の伽藍の資材について記された資料では、679年には七堂伽藍が完成し、743年まで七堂伽藍を揃えていた事が確認されているが、戦国時代の兵火と明治の廃仏毀釈により堂塔のほぼ全てを喪失した。
 河内飛鳥七福神の1つに数えられ、風折烏帽子に狩衣、釣竿を肩にかけ、こわきに鯛をかかえた姿の恵比寿神も祀られている。
 西琳寺は、長い歴史と伝説を持つ、古代寺院である。
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2007/9/27


久見神楽 Kumi-kagura Kumi Kagura

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 久見神楽(くみかぐら)は、隠岐島後(おきどうご)の久見地区にある伊勢命(いせみこと)神社に伝わる穏地神楽(おちかぐら)の系統で、島根県の無形民族文化財に指定されている。
 隠岐の神楽は社家(しゃけ)と呼ばれる専門の神楽師が家業として代々継いできたが、明治二二(1889)年に地元の有志が油井の和田社家より伝授され、久見神楽となって現在に至る。西暦偶数年は七月二五日に、奇数年は同月二六日に、伊勢命神社の例祭で奉納される。
 午後九時ごろから夜通し行われ、演目は久見神楽特有の女性による「巫女(みこ)舞」をはじめ、勇壮な「猿田彦(さるたひこ)の舞」、ユーモラスな「鯛釣り」など多数ある。舞う人と地区役員が一緒に酒を酌み交わす「幣(ぬさ)の盃」も珍しい。太鼓や笛の音に乗って繰り広げられる迫力のある舞いと鮮やかな衣装は、観る者の心に深く刻み込まれる。
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2007/2/9


佐沼城 Sanuma-jyou Sanuma Castle

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 文治年間(1185〜1187年)の頃、藤原秀衡の重臣照井高直によって築かれ、奥州藤原氏滅亡後、源頼朝の家臣葛西氏の領有となったが、文明の末頃には大崎氏の家臣石川氏が拠った。
 築城の際、鎮護のために鹿を生き埋めにしたことから「鹿ヶ城」とも呼ばれ、沼や川に囲まれた天然の要害「水城」である。
 本丸跡は現在は鹿ヶ城公園となっており、かつては二の丸の南西側に鯛沼と呼ばれた沼が広がり外堀の役割を果たしていた。
 また本丸跡の東側には迫川が流れ、自然の堀のようになっており、出雲神社・照日権現が建っていますが、社の近くには佐沼城の沿革を記した「佐沼城址碑」がある。
 本丸の端の方にはこんもりと若干盛り上がった土塁跡が認められ、かつての佐沼城の面影を残している。
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2007/1/28