NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/12


永源寺 Eigen-ji Eigenji Temple

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 愛知川右岸にある臨済宗永源寺派の総本山。鎌倉時代、寂室元光和尚が伽藍を建立したのが始まりといわれる。
 寂室の死後も永源寺には高僧が集まり、佐々木氏の庇護のもと盛時には2000人もの学僧が集まっておおいに栄えた。
 境内には、庫裏・鐘楼・方丈・仏殿・開山堂などが立ち並び、 開山堂には、国指定の重要文化財である寂室和尚坐像がある。
 石段の表道を登ると、右手に愛知川があり、左手の雷渓山の岸壁には十六羅漢の石仏が点在し、渓谷の両岸をはじめ、参道一帯にはモミジ・カエデが多く、秋の紅葉期には多くの観光客で賑わう。
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太郎坊宮(阿賀神社) Taroubou-guu(Aga-jinjya) Tarobo Shrine (Aga Shrine)

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 太郎坊宮(阿賀神社)は、約1400年前に創始されたと言い伝えられ、勝運・厄除・開運・商売繁盛に御利益があり、天照皇大神の第一皇子神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を祀っている。
 本殿の周りには岩座と呼ばれる巨岩、怪石が散在し、本殿前にある夫婦岩という巨岩は、神力によって左右に開いたといわれ、巨岩信仰の中心となっている。この前を嘘つきな人が通ると途端に岩に挟まれてしまうという。
 本殿前の展望台からは、四季折々に移り変わる蒲生野の景色や、御在所岳を始め、鈴鹿連峰のすばらしい景観が楽しめる。
 また、本宮は「太郎坊さん」の名で親しまれている。
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2007/2/8


今市石畳 Imaichi-ishidatami Imaichi Stone-Paved Road

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 今市石畳(いまいちいしだたみ)は、その昔、参勤交代道路であった肥後街道の一部。昭和四十七(1972)年に県史跡に指定された、貴重な交通遺跡である。大分県の野津原町に位置する。
 野津原町は、慶長七(1601)年から肥後領になり、現今市市や野津原地区は、幕末まで肥後藩の宿場町となっていた。街道にはお茶屋が軒を連ね、物資が行き交う拠点として栄えたという。その当時の面影を残すのが今市石畳。幅6メートルの道の中央に幅2メートル、長さ660メートルにわたり切石が整然と並べられ、往時の大名行列の姿を彷彿とさせる。
 今市石畳は、毎年8月に行われる「篭かきレース」でも有名だ。今市が昔宿場町だったことからその時代を再現し、趣向を凝らした衣装を身にまとい、篭を担いで駆けめぐるものである。
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2007/1/25


城東の町並み Joto-no-machinami The Old Joto Area

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 旧出雲街道が通る岡山県の津山盆地は、城下町として古くから栄え、その町の東に宿場町があった。今は、「城東地区」と呼ばれ、酒造元、紙商、鎌商など格子造りの古い商家が軒を連ね、県の町並み保存地区に指定されている。
 津山城跡から旧出雲街道に沿って続く約1キロメートルの道が、保存の対象。出雲街道が城防備のために作った鍵曲り(かいまがり)と呼ばれる一種の迷路で屈折しながら東西に通る。低い軒先、格子戸、なまこ壁などといった昔ながらのたたずまいを見せている。
 見どころは、伝統的な建築法で再現された火の見やぐらや、町家「作州城東東屋敷」、江戸期から大正期までの建物が美しく調和した「城東むかし町家旧梶村家」など。
 映画「男はつらいよ」やドラマ「あぐり」のロケ地としても有名だ。
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豆田町・歴史の小径 Mamedamati・Rekishi-no-komiti An Historic Street Scene in Mameda

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 大分県日田市豆田町には、歴史の小径と呼ばれる歴史的街並みがある。
 江戸時代、日田は250年の長きにわたり天領として栄えた。豆田地区を中心として、いまなお歴史的な建築や天領時代の面影が日田には残されており、この歴史の恵みを積極的に観光資源として利用しようと、豆田地区には「都市景観形成地区」の指定が行われている。
 日田天領まつり中に行われる竹灯篭による「千年あかり」では、小川沿いに続く歴史の小径がほんのりとした灯りに包まれ、幻想的な空間と化す。
 近くには天領資料館もあり、かつての日田の繁栄ぶりが伺える。
 豆田町・歴史の小径は、そぞらに歩くだけで気軽に江戸の雰囲気に浸れる粋な通りである。
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2007/1/23


関宿の町並み Sekijyuku-no-Matinami The Streetscapes of Sekijuku

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 関宿の町並みは、三重県亀山市関町にある、東海道の往時の面影を唯一残す歴史的町並みである。
 関町は鈴鹿山脈の東麓にあり、古代には越前の愛発(あらち)、美濃の不破とともに三関といわれた伊勢鈴鹿の関が置かれていた。
 現在の町並みの基本構造は、天正年間(1573〜92年)に関盛信が付近の道路を改修し、新所と木崎の間に町(中町)を取り立ててできたものと考えられている。
 中町の町立てにより町並みは東に伸び、現在の規模に拡大し、やがて江戸時代の末期には東海道屈指の宿場となったのである。
 1984年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定される。地区内には国の重要文化財に指定されている関地蔵院がある。
 関宿の町並みは、かつての東海道中を偲ばせる、貴重な歴史的遺産である。
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2007/1/19


カセ鳥 Kasedori Kasedori Festival

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 山形県上山市で行われている火防(ひぶせ)行事。
 ここ上山地方では約350年ほど前に始ったといわれる。当時は、旧正月の13日に御殿に呼ばれ、その踊りを披露していた。
 15日には町で行なわれ、町方の若衆から手桶の水を「カセ鳥」にかけご祝儀を出し、商売繁盛などを祈った。
 明治29年で一旦途絶えてしまったが、昭和34年から再現された。
 今でも「ケンダン」と呼ばれるわらの蓑をかぶった若者たちが、「クッツクック」などの独特な掛け声とともに、町中を練り歩く一行の姿は、当時と変わらない。
 この時期、この地方では大概は「雪」が積もっている。若者たちはほぼ「はだか」の状態で、蓑をかぶり町内を練り歩くわけだが、お祭りさわぎで寒さもどこかへふっとんでしまう熱気である。
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