NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/10


松江姉様 Matsue-anesama-ningyou 

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 松江姉様(まつえあねさま)は、島根県松江市に伝わる伝統民芸品である。
 江戸時代、松江藩の御殿女中(ごてんじょちゅう)が作り始めたもので、江戸から伝わった姉様人形の一つといわれる。
 姉様人形とは、江戸時代に普及した和紙と千代紙で造られた優雅な人形で、裕福な武家や商家の子女に大切にされた。
 昭和一〇(1935)年頃までは子供や娘たちの日常の遊び用玩具であったが、今日では郷愁を誘う民芸品となっている。
 普通、姉様人形は顔を略したものが多いのだが、松江の人形はおちょぼ口で目が細く、頬をほんのり赤く染めている。
 衣装は赤と緑の二色であるが、単純化された中にもきらびやかさ、あでやかさがある。
 松江姉様は、小泉八雲(こいずみやくも)も愛好したという、日本的で気品のある三姉妹の紙人形である。
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2008/4/8


中町こみせ通り Nakamachi-komise-doori 

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 青森県黒石市にある「中町こみせ通り」には、日本の道百選に選ばれた、風情ある伝統的な建造物が建ち並ぶ通りである。こみせ(小見世)とは、日差しや雨・積雪から人を守るために、家の前に造られた木造の、アーケードのような道路のことをいい、藩政時代(江戸時代1603~1867)から残されているものだという。
 約百メートルにわたって続くこみせは全国的にも類例がなく、平成一七(2005)年に、文化庁の重要伝統的建造物群の指定となったとされる。
 当時から商家・旅篭・呉服屋が軒を連ね、こみせは重要な役割を果たしていたという。中でも江戸中期に建てられた商家「高橋家住宅」は、昭和四八(1973)年に、国の重要文化財となっている。
 二月と九月の第二土・日曜には「黒石こみせまつり」が開催され、高橋家住宅の公開をはじめ、二軒の造り酒屋「菊乃井」「玉垂」の造り酒屋見学・津軽民謡・踊りが催されるという。
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2007/11/9


佐原 伊能忠敬旧宅 Sawara InouTadataka-kyuutaku 

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 佐原の伊能忠敬旧宅(さわらのいのうただたかきゅうたく)は、千葉県香取市佐原にある建築物である。屋敷内の土蔵も含めて、国の史跡に指定されている。
 伊能忠敬は、隠居後五〇才を過ぎてから江戸に出て幕府天文方高橋至時の門に入り、西洋天文学・西洋数学・天文観測学・暦学等を学び、幕府の命令で五五~七一歳まで、一七年間全国各地を測量し、大日本沿海輿地全図を完成させた。
 旧宅は、伊能忠敬が三〇年余り過ごした言われる家で、商家造りの瓦葺き平屋建て、表の店舗と奥の母屋からなり、店舗は醸造業の倉庫を改造したもので、土間・帳場・居室・台所等が存在する。
 母屋は、寛政五(1793)年、忠敬が四八才の時に自身の設計により作ったものとされる。
 伊能忠敬旧宅は、五〇を過ぎてから新しい道を切り開いた努力家・忠敬の苦労と人柄が偲ばれる建築物である。
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2007/8/24


旧関川家別荘 Kyuu-sekikawa-ke-bessou 

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 旧関川家別荘(きゅうせきがわけべっそう)は、一七世紀の終わりから明治三〇年代まで、松前藩一の豪商として江差で回船問屋を営んでいた関川家の別荘を当時の姿に修復した建物。北海道豊川町に所在する。
 関川家初代・与左衛門は越後の人で天和年間(1681~1684)に松前に移り、その後江差に定住、酒屋を営んだ。二代目からは事業を拡大、回船問屋も営み、他に米問屋・海産・金融・薬・味噌醸造・紙漉から農地開拓まで幅広く手がけて、財を成したという。
 面積一万一〇〇〇〇平方メートルもある日本庭園からは、当時の繁栄振りがうかがえる。
当時の姿に復元された建物は一般公開され、江差の最盛期の頃の様子を伝える古文書や調度品などの貴重な品々が展示・保存されている。
 旧関川家別荘は、豊川町の有形文化財に指定されている。
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2007/2/13


渋川問屋 Shibukawa-tonya The Shibukawa Merchant House

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 渋川問屋は明治時代、会津一の海産物問屋の店舗や屋敷、商品蔵などそっくり利用した宿泊施設。
 明治から昭和にかけて、海産物を扱う大店だった渋川問屋。塵ひとつない床は、黒光りする程磨き込まれている。客を迎えるため、心地良い空間を常に維持し続ける、その行為に大店の心意気を感じる。
 離れには「憂国の間」と名付けられた、現在の社長の叔父にあたる渋川善助が少年時代を過ごした部屋がある。
 創業明治初年。最盛期には渋川家の人間だけでなく、50余人の使用人がこの屋敷に暮らしていたという。
 周辺には阿弥陀寺等の見どころが多く有り、明治・大正時代に繁栄した街並みが散策でき、大正ロマンあふれる雰囲気が楽しめる。
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2007/2/12


近江商人屋敷 Oumi-shounin-yashiki Omi Merchants Residences

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 近江商人とは、近江に本拠地をおく他国稼ぎ商人のことで、近江八幡・日野・五個荘から特に多く輩出した。その中でも五個荘出身の近江商人を五個荘商人と呼ぶ。
 五個荘は近江商人の発祥の地として広く知られ、白壁と舟板塀の蔵・屋敷や優雅な庭園など、町内のいたるところで見ることができ、また国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定され、五個荘町では代表的な近江商人の蔵屋敷などを公開している。
 五個荘商人はそのほとんどが江戸時代末期から明治時代の創業で現在も商社として多くの企業が活躍している。
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八幡堀 Hachiman-bori Hachiman-bori Canal

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 近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国において大津と並ぶ賑わいを見せたが、戦後は陸上交通の発展によって廃れてしまう。
 幅員約15m、全長6kmに及ぶ運河で、八幡城を築城した際、城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と琵琶湖の水運(当時の物流の要)を利用する商業的役割を兼ね備えていた。
 堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並び、華やかだった当時の様子をよく伝えている。
 近年になり、観光名所として整備され、船着き場などが復元された。
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