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2007/11/12


魚板 Gyoban Gyoban (Fish Drum)

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 魚板(ぎょばん)とは、巨大な木製の魚であり、叩いて時間を知らせるための法具である。
 日本では主に禅宗系の寺院などでよく見受けられ、木魚の原型であるとされている。
 これは、木魚のようにお経や真言を唱える時の、調子をとる為に使われるのではなく、行事や法要、儀式の始まりを山内の皆に報せる為に打ち鳴らされるものである。
 魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じない事から、修行に精進することの象徴であったためとされる。明代には、現代の木魚の形が確立している。
 その呼び名は魚板以外にも魚鼓(ぎょこ)、木魚鼓(もくぎょく)、邦(ほう)とさまざまで、魚の形の法具としては、木魚よりも魚らしい形をしているといえる。
 魚板は、現在でも使用されている、合図のための法具である。
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2007/9/14


【環】 Kan The Character for Cycle, Ring, Surround

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 環境の環。その形がなかなか深い意味を語っています。上の部分は目です。その下に衣と○があります。○は玉。この三つの要素を含む字体のほかに、さらに強調のために玉偏(たまへん)をつける字体もあります。玉偏自体は三つの玉を貫く紐の形です。
 この字は実は古代の葬儀、死者の復活思想、信仰と関係があります。上の目は開いているので、死者の復活を願う象徴です。古代には死者に玉の賜物を副葬品として添える習慣があったのです。この字はその玉を衣服の襟元に置いた形です。玉を死者の口に含ませることもあり、それは「含」という字になりました。
 白川静先生の著作、『孔子伝』などにもしばしば出てくる荘子の『荘子(南華真経)』に、こういう様々な古代の習慣がよく取り上げられています。もちろんむしろ否定的に。例えば、『荘子(南華真経)』外物篇に道徳的よりどころであるはずの『詩経』と『禮経』の墓と副葬品などの詳しい記述を頼りに、墓を盗掘したり、死者に添えた玉を奪おうとする儒者のことが風刺的に描かれています。
 また白川先生が、日本の代表的な哲学者である西田幾多郎には、漢字の世界をある意味で哲学化した荘子の影響がかなり見られると指摘されているように、そういう背景から見ると漢字には古今を結ぶ一面があります。
 人類の生死に関わる環境。健全な環境の保持を考えるにふさわしい字ではないしょうか。
 
■ 環・金文(きんぶん)
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2007/6/21


市川團十郎 Ichikawa-danjuurou Ichikawa Danjuro

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 市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)とは、江戸歌舞伎の役者の名前であり、歌舞伎市川流の宗家である市川團十郎家の当主名である。
 万治三(1660)年から元禄一七(1704)年を生きた初代市川團十郎は、浄瑠璃や江戸歌舞伎の荒武者事の荒っぽい演出、また一日の狂言の最後に「荒人神の分身」となって立ち現れる神霊事の演出を組み合わせたことで新しい荒事を作り上げたり、また狂言作家「三升屋兵庫」としても活動していた。
 現在は一二代目で屋号は成田屋、家紋は定紋が三枡(みます)、替紋が杏葉牡丹(ぎょようぼたん)である 。
 この名は通常、世襲制であることから「新之助」「海老蔵」を経て襲名することが多い。
 成田屋の定番の歌舞伎である十八番の中では、暫(しばらく)、蛇柳(じゃやなぎ)、鳴神(なるかみ)、嫐(うわなり)、不破(ふわ)、勧進帳(かんじんちょう)が初代が演じたものとされる。
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能面 中将 Noumen Chujou Noh Mask Chujo

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 中将(ちゅうじょう)とは、能で使われる男性をあらわす面の一つである。
 品位のある公家・公達などの役に使われることが多い。
 中将在原業平の表情を模したものと言われ、ややつり目で、鼻もしっかりとした印象がある一方、女性的な線の細い口元、そして上歯にお歯黒が用いられ下の歯がない等、どこかやわらかな印象が表されている。
 眉間にある2本の深いしわは哀愁漂わせており、また眉が殿上眉と呼ばれる特徴的な形であるため、より印象に深みを増す。
 平家の公家や貴族の霊の役として使わており、清経(きよつね)、通盛(みちもり)、忠度(ただのり)、雲林院(うんりんいん)、融(とおる)等の曲に使用される。
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能面 十六 Noumen Juroku Noh Mask Juroku

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 十六(じゅうろく)とは若い武将、平家の公達といった男性を表現する能面の一つである。
 嘉応元(1169)年から元暦元(1184)年に生きた平敦盛をモデルとしている。
 「十六」という名称の由来は、平家物語に描かれる一ノ谷の戦いで熊谷直実に討れ、十六歳の若さでこの世を去った平敦盛の年齢からつけられたとされている。
 若き青年の多感さをかもし出しており、かわいらしいえくぼや、輝かしい瞳、そして女性の面に見られるような上品な雰囲気も特徴である。
 能面「童子」が一五夜の月の面と呼ばれるのに対し、一六夜の月の面とも呼ばれる。
 平敦盛を描いた「敦盛(あつもり)」で使用されるほかに「朝長(ともなが)」「経正(つねまさ)」等の曲に用いられる。
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能面 万媚 Noumen Manbi Noh Mask Manbi

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 万媚(まんび)は能楽に用いる面のひとつで、若い女性の色っぽさ、なまめかしさを表現している。
 万媚とは「百の媚に勝る」という意味があり、艶やかな中にも目元や口元に媚びを表現している。
 目が切れて長く、口が少し突き出しているが小さいため、正面から見ると美しい女性だが、少し面を上げるとかわいらしい笑顔、少し下に傾けると、不適な笑みをたたえる女性にも見え、陰影を使いたくみに表現を使い分けられる能面である。
 能「紅葉狩」では、若い美女の宴に参加した平維茂が、酒と美女の舞に酔い眠ってしまうが、夢の中で八幡宮の神からの「美女に化けた鬼を退治せよ」とお告げ受け鬼を退治する。この美女役の面として、万媚を使う。他にも「熊野」「殺生石」では鬼女の化ける若い女として使われる。
 万媚は、大人の女性の艶っぽさと、あどけない少女のようなかわいらしさをあわせ持った、不思議で魅力的な面である。
 
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能面 天神 Noumen Tenjin Noh Mask Tenjin

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 天神(てんじん)は能に用いる面の一つで、様々な神を表現する。
 天神は、天満大自在天神の略称で、菅原道真が神に祀られる前の激しい形相を表していると言われる。
 能の「雷電(らいでん)」は、陰謀により左遷させられ非業の死を遂げた菅原道真が雷神となって災いを起こそうとする。しかし、比叡山延暦寺の法性坊律師僧正との戦いに敗れてしまう。その後、帝が天神の位を与えることによって成仏した道真公が「学業の神」である天神として祀られるという話で、この災いを起こす雷電として登場するのが天神の面である。
 目、眉、髭は力強く独特な形状をしており、また全体を朱で塗られている等、鬼のようなイメージの反面、鼻、口元、歯などは人間のそれに近い造作をしている。
 「舎利(しゃり)」では足の速い仏である韋駄天、「金札(きんさつ)」では金札と弓矢で悪魔を降伏させる神・天津太玉等に使用される。
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能面 小獅子 Noumen Kojishi Noh Mask Ko-jishi

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 小獅子(こじし)は能で鬼神をあらわす面の一つで、空想上の聖獣「獅子」を表現、特に子供の獅子を表している。猛獣としての獅子ではなく、妖精的な意味につかわれた。
 古くは中国からの伝来である獅子舞が田楽・猿楽と取り入れられたのち、能楽の獅子として確立された。
 その表情は力強さを感じる造形となっており、面全体に金色を使い、目じりをつり上げ上目を向いているが、これは俊敏さ表し若獅子が獲物を狙う表情とされる。親として使われる大獅子面とくらべ、血気盛んな印象が強い。
 また、小獅子面が歯を食い縛っているような表情に似ていることから顰(しかみ)が使われることもある。
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