飯豊神社 Iitoyo-jinja Iitoyo Shrine
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宮城県加美町にある飯豊神社(いいとよじんや)は、かなりの歴史と由緒を持つ神社である。
その興りは今から千三百年前の慶雲二(705)年、巨勢麿(こせまろ)により勧請、保食神(うけもちのかみ)を祀られたと伝えられており、延喜式内社として大石をご神体とした。
その後の天平九(737)年に按察使(あぜち)兼鎮守府将軍であった大野東人により社殿が造営される。
その後、栄枯盛衰はあったものの鎌倉時代の正安年間(1299~1302)に小野田朝日城主であった内海左京大夫長重が社殿を再建し篤く尊崇されることとなる。
境内には坂上田村麻呂が植えたとも、源頼朝が植えたとも伝えられる周囲約6mにもなる老杉がご神木として祀られており、また、すぐ側には安産の神として崇拝される夫婦大石がある。
足元に鳴瀬川を見下ろし、天気がよければ遠く栗駒山まで見渡せる景勝と共に、この神社は悠久の時を刻み続けている。
その興りは今から千三百年前の慶雲二(705)年、巨勢麿(こせまろ)により勧請、保食神(うけもちのかみ)を祀られたと伝えられており、延喜式内社として大石をご神体とした。
その後の天平九(737)年に按察使(あぜち)兼鎮守府将軍であった大野東人により社殿が造営される。
その後、栄枯盛衰はあったものの鎌倉時代の正安年間(1299~1302)に小野田朝日城主であった内海左京大夫長重が社殿を再建し篤く尊崇されることとなる。
境内には坂上田村麻呂が植えたとも、源頼朝が植えたとも伝えられる周囲約6mにもなる老杉がご神木として祀られており、また、すぐ側には安産の神として崇拝される夫婦大石がある。
足元に鳴瀬川を見下ろし、天気がよければ遠く栗駒山まで見渡せる景勝と共に、この神社は悠久の時を刻み続けている。
- 住所
- 981-4354 宮城県加美郡加美町麓山1-7
- 名前
- 飯豊神社