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2008/6/18


廣瀬大社 Hirose-taisha 

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 奈良県北葛城郡河合町にある廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は、水の守り神として知られている。ご主神は、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)で、佐保川・初瀬川・飛鳥川など、大和盆地を流れる全ての川がひとつに合流する地に祀られている。
 創建は、崇神天皇九(前89)年といわれ、廣瀬の河合の里長に御神託があり、一夜で沼地が陸地に変化し、橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになったという。
 生駒郡三郷町に鎮座する龍田大社の龍田風神と深い縁があるとされ、廣瀬神社と龍田大社にて、風水を治め、国家安泰を祈願したといわれている。
 境内入口にある朱色の鳥居から参道を歩くと、正面に拝殿があり、後方に春日造の朱色の本殿がある。
 拝殿前は一面砂で覆われている。これは毎年二月一一日に催される御田植祭「砂かけ祭」によるもので、拝殿前の広場を田圃に見立て、田植の所作を行なう神事である。五穀豊穣と雨水の多量を願い、牛の面を被った牛役、お百姓と早乙女が登場し、神事がおこなわれる。
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2007/12/25


熊野大社 Kumano-taisha 

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 八雲町にある熊野大社(くまのたいしゃ)は、「日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)」とも呼ばれ、生活に欠くことのできない火の発祥の神社として知られている。
 熊野大神櫛御気野命(くまののおおかみくしみけぬのみこと)が祭神として祀られている。古来より、出雲国の食物の生産を見守る神の中でも、一番位の高い神様だったと伝えられており、現在でも農作物を守る神として大切にされている。
 明治三(1871)年、近代社格制度によって国幣中社に、大正五(1961)年に大社に昇格したとされる。
 熊野大神宮、熊野坐神社と呼ばれていたが、昭和五二(1977)年に熊野大社に改称された。
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2007/11/13


兵主祭 Hyouzu-matsuri Hyozu Festival

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 兵主祭(ひょうずまつり)は、滋賀県野洲市五条の兵主大社で、毎年五月三日~六日に行われている例祭である。
 兵主大社は、三世紀後半ごろ、現在の滋賀郡大津市遷都にともない社地が設けられ、さらに欽明天皇の時代に琵琶湖を渡って現在地に遷され、社殿が造営されたと伝えられる。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。
 当日は午前中に神社で神事を行い、午後には各氏子から大小約30の御輿や太鼓が神社の参道に集まり、クライマックスの神輿渡りが行われる。
 太鼓橋前にて各御輿が行う「鵜の息抜き」の所作は面白く、特に、大小様々な御輿・太鼓が「チョイトサ」の掛け声も勇ましく、約300mの松並木の参道を渡御する様は壮観で、祭りの一番の見所といえる。
 兵主祭は、兵主18郷による、勇壮で華やかな祭りである
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2007/10/17


兵主大社 Hyouzu-taisha Hyozu Taisha Shrine

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 兵主大社(ひょうずたいしゃ)は奈良時代の創建とされている。兵主を「つわものぬし」とも読めることから、朝廷や武士の信仰を集めた。
 美術工芸品などの社宝は武具から仏舎利まで幅広く、神仏習合の名残りを感じさせる。
 来たる人を待ち構えるかのように堂々とした朱色の楼門は足利尊氏の寄進と伝えられるもので、天文一九(1550)年の墨書が残る。格式の高い一間一戸の入母屋造で、左右の均整が美しく、県指定の有形文化財である。
 砂利の参道を歩くと、正面に檜皮葺(ひわだぶき)の拝殿がある。鰐口(わにぐち)に下がる太い朱紐が目を惹く。
 大規模な庭園は平安時代末期のもので、池を中心とし、庭の景観を楽しみながら歩く、池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)である。
 庭園は苔の絨毯で覆われ、梅雨の時期は香り立つような美しさだ。
 また紅葉の名所でもあり、毎年一一月中旬から下旬にかけてライトアップが行われる。
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2007/9/14


行縢神社 Mukabaki-jinja Mukabaki Shrine

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 行縢神社(むかばきじんじゃ)は、行縢山の南東にあり、養老二(718)年に創建された。紀州の熊野大社の分霊が祀られ、祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)で行縢嶽三所大権現と名乗り、日向の代々藩主の崇拝が厚かった。
 行縢山は宮崎県の北部にあり、標高八三一メートルの山である。遠くから見ると屏風ような形をしている岩壁が見事な山である。
 日本武尊が熊襲征討の折、山の形が行縢(むかばき)に似ていると仰せられ、行縢山の名がついたと伝えられている。行縢とは、毛皮で作られた、腰から脚にかけて着用するものである。
 広い神域は樹木におおわれ、その間に本殿がひっそりと建っている。境内から行縢山の登山口が伸びている。
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2007/9/7


陸奥総社宮 Mutsu-sousha-no-miya 

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 陸奥総社宮(むつそうしゃのみや)は宮城県多賀城市、多賀城政庁府東門跡地と加瀬沼との間に位置する神社である。
 周囲は鬱蒼とした木立に囲まれている。
 総社とは、いくつかの神社の祭神を一か所にまとめて祀った神社の事である。
 陸奥総社宮は平安中期には陸奥国府に属し、陸奥国内百ケ所を統括する総社であり、祭司は中央政府の国司であった。国府制度が廃止された後も、歴代伊達藩主や多くの人々の信仰を集めていた。
 社内の階段左右には大社一五、小社八五の神社名が列記されている。
 拝殿の先の神殿の両側には樹齢六〇〇年余りの老杉と、二二〇年余の老白木蓮が対になっている。それは、長寿で仲の良い夫婦と見たて、家庭円満の幸せの神樹とされている。
 
 
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2007/8/29


十根川神社 Tonegawa-jinja 

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 平家落人伝説の村、宮崎県椎葉村。ここに十根川神社(とねがわじんじゃ)がある。元久元(1204)年創建といわれ、源平合戦後の当時、平家討伐のためこの地を訪れた那須与一の弟、那須大八郎宗久の陣屋跡と伝えられる。
 出雲大社の分祀として大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られ、大八郎が着用した鎧や納めた鏡が残されている。
 明治になるまで十根川神社は八村大明神と呼ばれ、境内には大八郎が植えたといわれる「八村杉(やむらすぎ)」がある。樹齢約800年、樹高約55メートル、根まわり約19メートルもある巨大な杉が、栄枯盛衰を見つめながら大きくそびえ立っている。
 源頼朝から椎葉の平家落人の追討を命じられた大八郎が目にしたものは、ひっそりと暮らす平家一門の姿だった。大八郎は追討を断念し、鎌倉に帰らずこの地に屋敷を構え、平家の守り神である厳島神社を建てるなど彼らを支えたという。
 
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2007/8/20


金鑽神社 多宝塔 Kanasana-jinja Tahou-tou 

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 本殿を持たない神社は全国的に珍しい。奈良県の大神神社、長野県の諏訪大社、そして埼玉県上川町の金鑽神社(かなさなじんじゃ)だけである。金鑽神社は本殿を置かず、背後に控える御嶽山(御室ヶ岳)を御神体として崇めている。
 境内に入り、川伝いにゆるやかな上りの参道を進むと、右手の高台に木立に囲まれて多宝塔が現われる。武蔵七党(むさししちとう)のひとつ、丹党に属した豪族の安保弾正全隆が、子孫の幸福繁栄を祈って天文三(1534)年に寄進したもので、建立時代が明確な県内有数の古建築として、国の重要文化財に指定されている。
 塔は二層からなり、三間四面の柿葺(こけらぶき)で高さは約一四m、総朱塗りで、真柱(しんばしら)に「天文三年庚午八月晦日、大旦那阿保弾正全隆」の墨書銘がある。
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