郡上八幡城 Gujohachiman-jo
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郡上踊りでも知られる郡上の城は、鎌倉時代の承久三(1221)年、承久の乱の戦功で東胤行が美濃国山田荘の地頭となり、土着したのが起源とされている。永禄二(1559)年東常慶が城主であった時、遠藤盛数に東殿山城を攻められ落城したといわれる。
東殿山城に入った遠藤盛数は、そこがあまりにも険峻であった為、新しく八幡山に城を築いた。その後、幾多の城主が変わり増築が行われた。城は東殿山南端、標高350メートルの八幡山山頂に天守曲輪を置き、桜の丸・松の丸の郭、山麓に二の丸を構えている。
青山氏の代に二の丸が本丸とされ、御殿・政庁を置いた。明治維新を迎えた後、天守台・桜の丸・松の丸の石垣はほぼ完全な形で残された。現在の山頂にある模凝天守と隅櫓は昭和八(1933)年に建てられたもので、大垣城に模して作られている。
八幡山からの景色は、眼前に東殿山が眺められ、往事の戦いのほどが偲ばれる。
東殿山城に入った遠藤盛数は、そこがあまりにも険峻であった為、新しく八幡山に城を築いた。その後、幾多の城主が変わり増築が行われた。城は東殿山南端、標高350メートルの八幡山山頂に天守曲輪を置き、桜の丸・松の丸の郭、山麓に二の丸を構えている。
青山氏の代に二の丸が本丸とされ、御殿・政庁を置いた。明治維新を迎えた後、天守台・桜の丸・松の丸の石垣はほぼ完全な形で残された。現在の山頂にある模凝天守と隅櫓は昭和八(1933)年に建てられたもので、大垣城に模して作られている。
八幡山からの景色は、眼前に東殿山が眺められ、往事の戦いのほどが偲ばれる。
- 住所
- 501-4214 岐阜県郡上市八幡町柳町
- 名前
- 郡上八幡城