雫石城 Shizukuishi-jou Shizukuishi Castle
|
築城は南北朝時代、南朝方の拠点として滴石戸沢氏(しずくいしとざわし)によって興国(こうこく)元(1340)年頃に築かれたとされる。
出羽国への交通の要衝にあたる雫石盆地のほぼ中央の台地の先端に位置し、南に雫石川、北に蟹沢川が東流する。
東西に連なる郭は東から本丸、二の丸、三の丸跡と伝えられ、さらに西郭が続き、本丸は東西が約90m、南北が60mほどで、幅6〜12m、深さ2〜5mの薬研堀も残っており、斯波氏の氏神の八幡宮をまつる。
天正14(1586)年に南部信直に攻められ落城し、天正20(1592)年には豊臣秀吉の城破却令で廃城となった。
出羽国への交通の要衝にあたる雫石盆地のほぼ中央の台地の先端に位置し、南に雫石川、北に蟹沢川が東流する。
東西に連なる郭は東から本丸、二の丸、三の丸跡と伝えられ、さらに西郭が続き、本丸は東西が約90m、南北が60mほどで、幅6〜12m、深さ2〜5mの薬研堀も残っており、斯波氏の氏神の八幡宮をまつる。
天正14(1586)年に南部信直に攻められ落城し、天正20(1592)年には豊臣秀吉の城破却令で廃城となった。
- 住所
- 〒020-0500 岩手県岩手郡雫石町下町東
- 名前
- 雫石城