NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/1


唐桑 弾き猿 karakuwa Hikisaru 

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 唐桑の弾き猿(からくわのひきさる)は、宮城県気仙沼市唐桑町にある日高神社の祭礼にて売られる玩具である。
 日高神社は唐桑半島の突端にあり、別名・御崎神社(おさきじんじゃ)とも言う。地元では、航海・縁結びの神「おさきさん」として親しまれている。
 神社で行われる旧正月一四、一五日の祭礼には、岩手県南の大船渡や陸前高田方面の漁師たちも参拝に来て賑わう。
 この時、さっぱ舟・風車などと共に縁起物「唐桑の諸玩具」として売られるのが、弾き猿である。
 弾き猿は、昔は全国各地で見られた素朴な玩具で、下の竹のバネを弾くと、猿が弾かれて上下し、「年の始めに悪しきを弾き去る」と言う意味がある。
 唐桑の弾き猿は、「災いを去る」縁起物の郷土玩具である。
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2008/2/21


猩々緋色(ショウジョウヒイロ) Shoujouhi-iro 

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 猩々緋色(しょうじょうひいろ)は日本古来の伝統色のひとつで、極めて鮮やかな赤色のことである。染料の原材料はケルメスという昆虫であったが、その後ケルメスより更に色の強いコチニールカイガラムシが使われるようになったといわれている。
 「猩々」とはオランウータンの和名でもあるが、元々は中国の伝説上の動物を指すといわれている。猩々は猿に似た、酒を好む動物で、顔だけでなく体毛も赤いと言われている。日本では猩々が能の演目としても定着しており、歌舞伎や日本舞踊でも演じられている。猩々緋色はその猩々の鮮明な赤い色に由来している。
 戦国時代の武将に大変好まれた色といわれており、南蛮船で猩々緋色に染められた、羅紗(らしゃ)という毛織物が輸入されるようになると、裾の長い羽織物として好んで着用したといわれている。
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2008/2/7


木葉猿 Konoha-saru 

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 熊本県玉東町(ぎょくとうまち)の木葉に伝わる「木葉猿(このはさる)」は、郷土玩具の中で、最も古いものの一つであるといわれている。
 養老七(723)年の元旦に「虎の歯(このは)」の里で生活していた都の落人が、夢枕に立った老翁のお告げにより奈良の春日大明神を祀った。そして木葉山の赤土で祭器をつくった際、残りの土を捨てたところ、それが猿に化けたという言い伝えがあり、木葉猿が誕生したといわれる。
 型を使わず、指先だけで粘土をひねる技法で猿の土焼人形をつくり、素焼きにしたままの伝統玩具である。
 昔から素朴さとユーモアある姿は人気があり、大正時代後期には、全国土俗玩具大番付で東の横綱になった。最近では彩色したものもあり、三匹猿・子抱猿・飯喰猿など合わせて一〇種類程あり、悪病、災難除け、子孫繁栄、子授けなどのお守りとして多くの人々に親しまれている。
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2007/11/5


銚子渓 Choushi-kei Choshikei Gorge

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 銚子渓(ちょうしけい)は、香川県の小豆島(しょうどしま)を流れる伝法川上流にある渓谷で、同島の日本三大渓谷の一つといわれる寒霞渓(かんかけい)とは小豆島スカイラインで結ばれている。
 小豆島は日本猿が多く生息していることでも有名で、銚子渓にも野生の日本猿が多数群れをなしている。ここには、日本猿の自然動物園としても有名な「お猿の楽園」があり、人慣れした猿の生態を身近に観察することができる。
 銚子渓の頂上では猿の群れはもちろんのこと、ゆったりできる展望台も設けられおり、パノラマ状に広がる瀬戸内海の眺望を見学するこができ、その雄大で優しい風景は、心を和ませ穏やかにしてくれる。
 近くには、小さいながらも小豆島の神様とされる大野手姫を祀る大野手姫神社が鎮座する。
 銚子渓は、秋になると紅葉の景色と渓谷美が美しいコントラストを見せ、心穏やかに過ごすことができる場所である。
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2007/10/12


猿掛城 Sarukake-jyou Sarukake Castle Ruins

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 猿掛城は、広島県安芸高田市吉田町にあった城である。
 明応年間(1492〜1501年)に毛利弘元が築いたという。
 この城は、毛利元就が少年から毛利本家を継ぐまでの青年期を過ごした城として有名である。
 関ケ原の合戦後、毛利氏が防長二州削封されるに及び、この城は天領となりやがて廃城となった。
 猿掛城は、小田郡矢掛町と倉敷市真備町との境にあり、菩提寺は矢掛町横谷の洞松寺である。
 西国へ往来する者達を一目瞭然に監視できる場所にあり、小田川を挟むように山がそびえ立ち、街道の重要拠点であった。
 現在、城跡は吉田盆地の北西方にあり、多治比川沿いの小さな谷に突き出した山の尾根上に、縄張りをめぐらせてある。
 猿掛城は、毛利家に縁の深い、戦国を戦い抜いた城郭である。
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2007/10/9


蒼竜山松源寺(猿寺) Souryuuzan-Shougenji(Sarudera) 

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 蒼竜山松源寺(そうりゅうざんしょうげんじ)は、東京都中野区上高田にある臨済宗妙心寺派の寺である。本尊は釈迦如来と聖観世音菩薩。東京二十三ヵ所霊場第19番札所とされる。
 年代は不詳だが、麹町四番町に蓬山宗丘禅師が開山、戸田山城守忠昌を開基として創建された、江戸触頭4ヵ寺の一員である。慶長一八(1613)年に牛込神楽坂に、明治三九(1908)年に現在地に移転した。
 寺が元禄期、まだ神楽坂にあった頃、寺を荒らす乱暴猿が捕まったが慈悲深い和尚が助けてやった。すると後日、渡し舟に乗ろうとした和尚をいつかの猿が必死に止めた。その舟は定員オーバーで川の中ほどで転覆し、舟に乗らなかった和尚は一命を全うした、という話が伝わり、通称・猿寺(さるでら)と言われている。
 蒼竜山松源寺は、不思議な猿伝説が伝わる、歴史ある寺である。
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2007/9/19


猿の子踊 Saru-no-ko-odori 

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 猿の子踊(さるのこおどり)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市池田下門にて、不定期に開催されている伝統の民俗芸能である。市の文化財に指定されている。
 延享二(1745)年、今和泉島津家の領主・島津忠郷(しまづたださと)が、日向から猿使いを招き、猿の習性を面白おかしくふりつけ、春と秋の2回、人々の苦労をなぐさめたという。
 猿は山の神、田の神の使いとして考えられた事から、その後、豊作のお祭りとして猿の子踊りが伝えられるようになったとされる。
 踊りでは、子供が真赤な衣装で顔一面赤く塗って扮装した親猿や子猿が、猿使いの命令に従い入り乱れてさまざまな芸をする。
 この奇妙な動作が整然と続けられていく様は実に見事なもので、見る者を楽しませてくれる。
 猿の子踊は、ユーモラスで可愛らしい郷土芸能である。
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2007/8/3


猿投山の球状花崗岩 Sanage-yama-no-kyujyou-kakou-gan The Round Granite Stones at Mt. Sanage

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 猿投山(さなげやま)は、愛知県豊田市加納町広沢にそびえる標高629mの山である。
 猿投山の球状花崗岩(きゅうじょうかこうがん)は、猿投山の山頂近くの広沢川右岸にある小川に露出している珍しい岩で、国の天然記念物に指定されている。
 花崗岩の結晶が菊花の花弁に似ているところから菊石とも呼ばれ、このあたりの川床や岸の雲母花崗岩の中に多く見られる。
 花崗岩類にこのような現象が見られることは珍しく、大きさは、4~8cm、中心部は2~3cmほどにもなる。
 この模様は花崗岩の構成要素である石英・長石・黒雲母が放射状に配列したことにより形成されたものであり、このような模様を形成する花崗岩はきわめて珍しい。
 周辺は遊歩道として整備されており、安全に訪れる事が出来る。
 猿投山の球状花崗岩は、珍しくて美しい模様をした岩である。
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