NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/14


高屋山上陵 Takaya-no-yama-no-eno-misasagi 

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 高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)は、杉木立に囲まれた標高三九〇メートルの山頂にある。ここには天津日高彦火火出見尊(あまつひたかひこほほでのみこと)を祀っている。邇邇芸命(ににぎのみこと)の皇子で山幸彦ともいう。
 薩摩川内市宮内町にある可愛山陵、鹿屋市吾平町にある吾平山上陵とともに神代三山稜の一つにかぞえられている。
 もともとこの地は神在りの岡、または神割の岡と呼ばれていた。古来より室町時代まで頂上に「鷹屋大明神」があったといわれる。
 明治七(1874)年にこの地を彦火々出見尊の陵墓として決められ、陵域は立ち入りが出来ない。
 古事記に「ミコトの陵は其の高千穂の西に在り」と記されていることから、明治七(1874)年にこの地を彦火々出見尊の陵墓として決定した。
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2007/10/31


玉陵(世界遺産) Tama-udun Tamaudun (World Heritage Site)

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 玉陵(たまうどぅん)は、沖縄県那覇市金城町にある、琉球王朝の陵墓である。世界遺産に登録されており、全体が国の史跡である。
 1501年、琉球王尚真によって玉陵は築かれた。
 琉球では、墓を立派なものにして、祖先崇拝信仰の表現形態とする志向が強い。
 また、玉陵の設立は、祖先崇拝信仰を国内統治の安定・強化に利用しようとした意図があったものと考えられている。
 玉陵は中室、東室、西室の3つに分かれている。中室は葬儀後、遺骸が骨になるまで放置し、骨を取り出して洗骨した。その後、王と妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められた。
 玉陵は太平洋戦争で大きな被害を被り、現在見られる大部分は大戦後に復元されたものである。
 玉陵は、琉球の神聖なる場所であり、厳かな墓所である。
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2007/3/12


推古天皇陵 Suiko-tennou-ryou Kofun of Empress Suiko

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 推古天皇陵は、大阪府南河内郡太子町にある墓稜である。
 推古天皇は、日本で初めての女帝である。蘇我の馬子を政務に取り立て、聖徳太子を摂政にし、隋との交渉によって先進的な政治制度や文化、芸術などを積極的に吸収した。
 推古天皇は、政治の改革や、仏教文化を中心とした飛鳥文化を花開かせた名君であった。
 推古天皇陵は、正式名を山田高塚古墳と言い、一辺約60メートル、東西に長い三段に築造された方形墳で、内部には2つの横穴式石室があると考えられている。
 王陵の谷の中で小島のように盛り上がっているため、四方からその整った美しい姿を望むことができる。
 推古天皇とその子竹田皇子の合葬陵とされ、古い記録によると石室内に二つの石棺が安置されているという。
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2007/3/9


垂仁天皇陵 Suinin-tennou-ryou Suinin Tenno-ryo, Emperor Suinin’s Tomb

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 垂仁天皇陵は、奈良県奈良市尼ケ辻西町にある、垂仁天皇の墓とされる場所である。
 垂仁天皇は、古事記・日本書紀に記される第11代天皇である。
 垂仁天皇陵は、正式名を菅原伏見東陵・宝来山古墳と言い、垂仁天皇の御陵とされている前方後円墳である。
 神仙の住む不老不死の蓬莱山に因み、今の地名は「ホウライ」に宝来の字を当てて、宝来山古墳、その北側の辺りを奈良市宝来町としている。
 垂仁天皇陵は、水濠に囲まれた墳丘が美しい、全長227メートルの墓稜である。
 濠の南東部に浮かぶ小島は、垂仁天皇の命で常世の国へ不老不死の果物を探しに行った田道間守の墓だという。
 垂仁天皇陵は、日本の神代の不思議と神秘を感じさせる、雰囲気ある場所である。
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2007/3/6


天武・持統天皇陵 Tenmu・Jitou-tennou-ryou 

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 天武・持統天皇陵は奈良県高市郡明日香村にある陵墓、正式な陵墓名は桧隈大内陵(ひのくまおおうちのみささぎ)。天武天皇、持統天皇の合葬陵墓である。
 直径50メートル、高さ6・4メートル、高さ9メートルの八角墳で、周囲に石壇が築かれている。
 鎌倉時代に残された「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」により被葬者が判明している数少ない天皇陵。石室は大理石、朱漆の柩と金銅の容器が安置されていると記録されている。
 律令国家建設を推し進めた天武天皇と、それを引き継いだ持統天皇は、波乱に満ちた人生を終え、夫婦揃って静かに緑の陵で眠りについている。
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2007/2/27


崇神天皇陵 Suzin-tennou-ryou Emperor Sujin’s Tomb

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 崇神天皇陵は奈良県天理市にある陵墓。正式な陵墓名は、山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)、古墳名は柳本行灯山古墳。第十代天皇の崇神天皇の陵墓とされる。
 崇神天皇は紀元前の人とも三世紀頃の人ともされ、正確な在位の期間は不明だが、最初の実在の天皇であり、大和王朝の礎を築いたと言われる。
 全長242メートル、前方部幅100メートル、後円部直径158メートルの前方後円墳。周囲に、陪塚(ばいちょう)を従える。正面拝殿に神明鳥居を置く。
 水を湛えた周濠には浮島が浮かび、堤からは緑に溢れた奈良盆地を一望でき、隠れた絶景の地でもある。
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2006/12/15


大仙公園 Daisen-kouen Daisen Park

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 大阪府堺市にある都市公園。南北を大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、ミサンザイ古墳(履中天皇陵)に挟まれており、園内にも小古墳が点在している。
 大仙公園の歴史は、1925年実験用農地として造られたのが始まり。1989年緑の文明学会・日本公園緑地協会による「日本の都市公園100選」の一つに選ばれる。
 園内には、明治から昭和にかけて多くの茶室を残した数寄屋普請の名匠・仰木魯堂が手がけた「伸庵」などの茶室をはじめ、3万平方メートルもの広大な築山林泉廻遊式の日本庭園、仁徳陵古墳埋葬品などが展示されている堺市博物館などが点在する。茶室は国の登録有形文化財に登録されている。
 大仙陵古墳(仁徳陵古墳)は円と四角を組あわせた形の古墳(お墓)で、この形を「前方後円墳」と呼ぶ。仁徳陵古墳は日本最大といわれ、周囲を囲む外濠を周遊するためには50分ほどかかる。この古墳に誰が埋葬されていたのかは、今だ謎である。
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