NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/4


葡萄色(エビイロ) Ebiiro(Ebiiro) 

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 葡萄色(エビイロ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 紫紺の根で染めた、山葡萄の実が熟れた皮のような、鈍い赤紫色をいう。
 古くは葡萄は「えび」と読んだ事に由来し、各地に自生する山葡萄の一種である、エビカヅラともよばれるエビヅルの熟した実のような暗い赤をしている。
 また、伊勢海老の甲羅の色に由来する海老色という色が別にあったが、両者の色が近いことと、同じ「えび」と発音したため、後に混同されて同じ色をさすようになっていった。
 英語の色名・ワインレッドに近く、平安時代には特に貴族の女性に好まれたらしく、王朝文学にも頻繁に登場する。
 葡萄色(エビイロ)は、やや紫を帯びた暗い赤を指す、山葡萄の実の色に似た伝統色である。
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2008/7/11


紫綾威鎧 Murasakiayaodoshi-yoroi 

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 紫綾威鎧(むらさきあやおどしよろい)は、愛媛県今治市大三島町宮浦の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に伝わっている防具である。国宝に指定されている。
 大山祇神社は、推古天皇二(594)年に創祠されたと伝わる、日本総鎮守ともされる古社である。祭神は大山積神(おおやまつみのかみ)。国宝8件、国の重要文化財75件を所有する日本有数の神社である。
 紫綾威鎧は、鎌倉幕府の創始者・征夷大将軍の源頼朝(みなもとよりとも)が奉納したものとされている。
 鎌倉時代初期の作で、麻布の芯を綾布で包み、これをもって威した綾威の鎧は極めて珍しく、厳島神社に萌葱(もえぎ)綾威鎧が一領ある以外は紫綾威を含めて大山祇神社の四領を挙げ得るのみといわれている。
 紫綾威鎧は、鎌倉時代から伝わる、貴族的な趣を伝える鎧である。
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2008/4/9


湧洞湖 Yuudou-ko 

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 湧洞湖(ゆうどうこ)は、北海道の帯広南東の海岸線にある湖。太平洋とつながっており、周囲約12kmの広さを持つ自然の宝庫だ。
 湧洞湖は海、山を一望できる自然に恵まれた湖である。周辺は鳥獣保護区域のため、たくさんの野鳥や水鳥が生息しおり、バードウォッチングにも最適だ。また、湖畔は原生花園で、ハマナスやヒオウギアアヤメなどのピンクや紫の可憐な花々を観察することができる。釣りにも適した湖で、一年を通して釣り人たちで賑わいを見せている。マリンスポーツも盛んで、水上バイクやカヌー等で遊ぶ若者たちの姿が見られる。
 湧洞湖は、豊かな自然の命をはぐくむ、母なる湖である。
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2008/2/21


江戸紫色(エドムラサキイロ) Edomurasaki-iro 

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 紫草(むらさき)は太い根に紫色の色素を持つ、ムラサキ科の多年草で、植物の名前がそのまま染色名に使われたとされている。
 約三〇〇年前、武蔵野でも紫草を栽培しようと、多摩郡松庵の杉田仙蔵(すぎたせんぞう)という豪農が、南部にて紫草の栽培や染色法を習得、栽培に成功した。その後井の頭池の水を遣い、鮮やかな紫根染め(しこんぞめ)を完成させた。それは後に「京染め」に対し「江戸染め」と呼ばれることとなる。
 古来より日本人に好まれ様々なものに使われてきた紫色だが、色調が地域によって分かれ、それを区別するために、京紫と江戸紫とに区別されるようになったといわれている。江戸紫色は、京紫色に比べて青みの強。
 江戸紫色は派手好みの江戸っ子に特に好まれ、爆発的に流行をとげ、江戸の「粋」の代表的な色として一世を風靡したと伝えられている。この人気により、近在の農家では栽培が盛んになり、三鷹・吉祥寺等の武蔵野一帯は紫草の名産地であったという。
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2007/11/14


木蓮 Mokuren 

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 「木蓮(もくれん)」は、モクレン目・モクレン科・モクレン属の落葉する5〜6m程度の低木で、花が紫色という事から紫木蓮(しもくれん)とも呼ばれる。
 元々は花の姿が蘭(らん)に似ている事から原産地の中国南西部で「木蘭」と呼ばれていて、日本に伝わった頃は音読みで「モクラン」と呼んでいた。しかし、蘭の花よりも蓮(はす)の花により似ている事から、江戸時代の頃に木蓮と変わっていった。中国で木蓮は、「辛夷(こぶし)」の事を意味する。
 庭木や公園の樹木として中国や日本だけでなく、ヨーロッパ諸国や北米でもマグノリアとして広く栽培されていて、街中でもよく見る事が出来る花木である。
 開花時期は4月頃で、別種で白い花を咲かせるハクモクレン、交雑種でピンク色の花を咲かせるサラサモクレン、そして紫色のモクレンの順で花が咲いていく。
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2007/11/9


牡丹色(ボタンイロ) Botan-iro 

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 元は薬用として栽培されていた中国原産の牡丹。その美しく妖艶な花は「花の王」として愛好され、そして多くの歌に詠まれ、絵に描かれてきた。日本国内で文学に登場したのは枕草子が最初だとされている。
 その牡丹の花の色に因んで名づけられた日本の伝統色が、濃い紫紅色を指す牡丹色(ぼたんいろ)である。
 平安時代、宮廷の女官達は着物を何枚も重ね着し、その表に表れる衣色の配列を「重ねの色目」として、草や花に見立て季節などを表現していた。牡丹色はその頃より装束に取り上げられるようになったとされている。明治時代に入り、少しずつ化学染料が使われるようになってから、牡丹色は更に濃く鮮やかな赤紫色に染め上げられた。
 紅とは異なる、紫がかった華やかな色合いの着物は、多くの女性に爆発的な支持を得、愛されたのだと伝えられている。
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2007/11/8


奥会津編み組細工 Okuaizu-amikumizaiku 

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 奥会津編み組細工(おくあいづあみくみざいく)は、奥会津地方の山間で採取した植物を材料にした編み組細工である。雪深い地域のため、昔から冬の手仕事として籠などの生活用品を作ってきた。
 福島県大沼郡三島町の荒屋敷遺跡では、籠や縄といった編み組の断片などが発掘されている。これにより古くは縄文時代から、編み組の技術が存在したことがうかがえる。
 また、マタタビの蔓(つる)を細くして笊(ざる)を作ったり、山ブドウの皮で籠を作ったという記録が残されており、昔からヒロロ・マタタビ・山ブドウなどの植物で、日常の生活用品が作られていたことがわかっている。
 ヒロロ細工は縄籠の技術を活用し、自然素材の色合いが活かされた伝統品格のある工芸品である。マタタビ細工は、完成後、家の軒下につるす「寒晒し」をし、太陽が雪に跳ね返った時の紫外線で漂白する。寒風で乾燥すると強度も増すため、生活用具に適している。山ブドウ細工は、皮が丈夫ななため、山仕事の道具入れに用いられ、使うほどに馴染むといわれる。
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東京無地染 Toukyou-mujizome 

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 東京無地染(とうきょうむじぞめ)は、古くから武蔵野国で生産されてきた染織物である。
 無地染とは、白い布地を一色の無地に染め上げる事で、古くは縄文時代から行われていた、染織物の中でも基本的なものだ。
 奈良時代になると、仏教の伝来と共に藍や紅花が渡来し、大きく発展を遂げ、鎌倉時代に入ると草木染や鉄媒染(てつばいせん)など技術も進展を遂げ、今につながっている。
 その中でも東京無地染は、武蔵野に自生した紫草の根から取れる染料を使用して染め上げたもののことを称し、江戸染めまたは江戸紫ともいわれていた。
 当時、上方きっての名歌舞伎役者であった市川団十郎演じる助六愛用の鉢巻ということもあり、庶民に大いにもてはやされることとなる。
 現在では東京都の伝統工芸品にも指定されており、古来よりの伝統を重んじながら、客の要望に沿って様々な色を生み出し、今も人々に愛される逸品を染め上げ続けている。
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